有馬稲子さんの“愛”(ビューティービジネス5月号より)

 

有馬稲子さんの“愛”


 

その名前を聞いてピンとくるヒトは、多分50歳以上だろう。その美人女優さんの活躍をリアルに見ていたヒトは、きっと60歳以上だ。


って、古い話しをここで持ち出したのは、ある記事を読んで、つくづく男って女の気持ちが全く判らないんだなあ、と、今更ながら感じたからだ。


連休直前に行った、10年ぶりのハワイからの帰り。飛行機の中で読んだ週刊誌に、その記事が出ていた。


日経新聞に連載されている「私の履歴書」についてだ。そこに、今、有馬稲子さんが「犬神家の一族」などで有名な、映画監督の市川昆さんとの関係を赤裸々に綴っている、ということが書いてあった。


日経の連載と言えば、古くは、大評判になった渡辺淳一さんの「失楽園」など、“大人の読み物”が隠れたウリだ。


でも「失楽園」枠は小説だけど、「私のー」は、功成り名を遂げた企業家の方々の自伝物、と思っていた。


以前、仲良くさせていただいているコーセーの小林禮次郎氏が登場された時は、ご本人から伺っていたお馴染みのエピソードもあったりして、毎回楽しみに読んでいたのだが。しばらく日経サボってる間に、往年の女優さんの“履歴書”も登場していたのだ。

 

曰く、17歳年上の市川監督に、若かりし有馬さんが、色んなショーや舞台の見方など、全てのことを教えてもらったことから、監督との赤ちゃんを堕胎したことまで、激しく哀しい恋の顛末が、こと細かく書かれている。


赤ちゃんが出来た、と告げた時の監督の冷ややかな言葉。


その上、自分は奥さんと離婚もしないのに、当時イケメン大スターだった萬屋錦之介さんとの結婚が決まった有馬さんに、何とか結婚を止めてほしい、とかきくどく。有馬さんが、盲腸だか何だかで入院している病室まで来て、だ。そこへ突然現れた錦之介さんにバレないように、病室の隅だかに隠れたりする大監督の姿は、まさに勝手な男の滑稽の極みだ。


もちろんそれらは、実名ではなく、監督の“J”と称されている。が、誰が読んでも市川昆監督その人だと判明する内容、らしい。


そして、その記事を書いている週刊誌の男性記者は言う。実は15年前にも有馬さんは自伝を出版している。そこにも“J”=市川監督、のせいで自分がいかに翻弄され辛い思いをしたか、を告白している。


15年経って、今また新聞の連載という形で、市川監督を糾弾している。すでに2年前90歳を超えて他界した男に対して、と。  


「やな女だなあ、今更そんな昔のことを暴露して、どうしたいのだろう?」


東京に戻って会った男友達が、たまたま同じ記事読んでいて、辟易した声で言う。おしなべて男の意見だ。


確かに気持ちのいい話しではないけど、有馬さんは市川監督をただ延々と恨み続けてきたのだろうか。


実際、その“履歴書”をまあくは読んでいないので、エラそうなことは言えないが、多分、それが有馬さんの“愛”なのではないか。


女は嫌いになった男に、そんな面倒臭いことしません。そこに執着があるからだ。執着こそ愛だ。今更どうしたいとかこうしたい、とかではなく、ただ忘れ去ってしまいたくないのだ。


有馬さんは、これでもかと、何十年も前の彼の不実を暴くことで、再び、彼の吐息を身近に感じることを選んでいるのではないだろうか。 


有馬さんは、きっと、凄く深く今なお愛しているのではないだろうか。先に逝ってしまった元カレを。

どかーんと青く大きい空、エメラルドグリーンに広がる海。毎日上天気の風にそよぐ椰子の葉。30年以上前、初めて行ったハワイ。それから7〜8回行ったろうか。行く度に幾つかビルが増えていたが、それくらいの変化だ。今回10年ぶりに行って、また新しくトランプインターナショナルホテルがオープンしていたが、基本的には全くもって変わっていない。


10年1日の如し、のワイキキの通りを歩いて、すれ違うカップルの姿も、恐ろしいくらい全くいつも同じだった。


みんなぼぉーとした眼をして、ぷらりぷらりと歩いている。恋人同士か新婚カップルか。


どちらにせよ、何一つ後ろ指刺されることない公明正大ワイキキカップルの姿が、それほど幸せそうに見えないのは何故だろう?


その後、有馬稲子さんが萬屋錦之介さんと、ハワイの空のように晴れ渡った結婚をしても、それでも幸せを掴めなかったのは何故だろう?


そして、今70歳を過ぎた有馬さんが辛くも懐かしく思い出すのは、公明正大な晴れ渡った日々ではなく、隠さなければならない不実な男との嵐のような日々なのかもしれない。

そういえば、これも古い話しだが、いつだったか小泉純一郎さんに、好きな女優さんは誰ですか?って聞いたことがあった。


小泉さんは「有馬稲子さんに憧れてた」と。


有馬稲子さん、という名前をまあくがリアルに聞いたのは、この時が初めてだった。


 皆様も楽しいゴールデンウィークをお過ごしください。愛する人とご一緒に、ね。

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ハワイにきたら絶対来る場所のひとつ、ホノルル美術館。
ロコアーティストの作品が美しい。建物も涼しげなイスラム風中庭もお気に入り。

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ホノルル美術館

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いつきても、部屋から見えるこの夕陽は最高

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スキーで捻挫したばかりでハワイ入りした次女。
8日間毎日ホテルのジムで筋トレ。まあくもつきあいました、とさ。

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30年前と全く同じワイキキビーチおまわりさん横。
もうめったに来ないけど”スパム祭り”で来てしまった!

ありがとうアンニュアージュな仲間たち(ビューティービジネス1月号連載より)

 

ありがとうアンニュアージュな仲間たち


先週12月11日、2009年最後の「コーセー・アンニュアージュトーク」第199回が終わった。ゲストはサウンドクリエーターの浅倉大介さん、先頃真矢みきちゃんと結婚されたバレダンサーの西島千博さん、そして日本一多忙な政治学者、姜尚中先生。いつもは各界トップのツーショットトークだが、ファイナルカウントダウンスペシャルヴァージョン編、ということでお3人の登場となった。

来年2010年2月開催の200回で、アンニュアージュトークは最終回となる。

第1回は、20年前、1990年の9月だった。代官山の200人も入ると満員になるスペース“代官山ザ・ガレージ”でスタートした。第1回のゲストは、作家の北方謙三さんと、歌手の田原俊彦さん。このツーショットが決定した時、このトークショーの「ビッグツーショットが本音で迫る!」というコンセプトが決定した。それから20年、異業種、各界のトップの初顔合わせを実現してきたのは、まさに奇跡というほかない。コーセーさんの宣伝部とマーク・アイという出来立てほやほやの制作会社の、手作り感覚のアットホームな中でこそ実現した、しかし中身は壮大なトークライブである。

思えば、この第1回のキャスティングからして奇跡だ。当時田原さんは、ベストテン1位の常連、ドラマは{教師びんびん物語}に主演する視聴率男、所属のジャニーズ事務所は編集出来ない“生”のトークショーに田原さんをおいそれとは出さない。それを出ていただいたのはひとえにご本人の強い意志だ。

「ザ・ベストテン」という歌番組の構成作家だったまあくは、毎週ベストテン登場歌手とスタジオで会い、取材と称して、タレントさんたちとおしゃべりしていた。田原さんが北方さんの大ファン、と聞いたのもベストテンの楽屋だ。そんな情報が、その後も近藤真彦さんや、TOSHIさん(現−X・JAPAN)、甲斐よしひろさんたち、かつてトークショーに出演したことないビッグな方々の出演を可能にした。(それもユニークなお相手とご一緒に)

その後、会場は、原宿スピリホール(キャパ250人)、渋谷ビーム(キャパ350人)に移り、現在の会場でもある恵比寿ガーデンプレイス・ザ・ガーデンホール(キャパ800人)となった。コーセーさんのホームページのコンテンツともなり、毎回40万人以上の女性たちに閲覧していただいている。

出演者も、長島茂雄さんと芸術院会員の画家絹谷幸二先生、市川団十郎さんとカリスマ作家京極夏彦さん、新之助時代の市川海老蔵さんと宝塚トップスター愛華みれさん。他にも、小泉純一郎さん、グレイのTAKUROさん、篠山紀信さん、河村隆一さん、壇れいさん、と、次々と斬新な皆さんに登場していただいた。

中でもアンニュアージュトーク最高の恩人は、筑紫哲也さんと、格闘家の前田日明さんだ。

筑紫さんはこのトークライブの意義を、いつも皆さんに説いてくださった。「100の演説より、アーティストの歌や作品が、彼らの素直な言葉が、メッセージとしてストレートに届く」だからこのアンニュアージュトークの場はとても重要だ思う、ゲスト二人の“化学反応”はその後の広がりとなり、それに何と言っても、楽しい。板の上の人がこんなに楽しんでいるんだから、観客が楽しめないわけがない、と。ふらりと遊びに来てくれての飛び入り出演も含めると、多分15〜6回以上出ていただいただろう。瀬戸内寂聴先生や、姜先生を紹介していただいたのも筑紫さんだ。

そして前田さんだが、(現在でもそうだが)20年前現役選手時代の前田さんは、もうカリスマもカリスマで、芸能界・文壇、特に男子には、異常に前田ファンが多かった。他のトークショーには出ないけど、前田さんとならぜひアンニュアージュトークに出たい、と皆さんが言ってくださったのだ。奥田瑛二さん、吉川晃司さんもそうだった。美輪明宏さんも。でも前田さん側希望は女性が多く、その頃丁度噂になってた女優の石田えりさんとの登場時は、観客数に迫る200人ものマスコミが詰め掛けた。

筑紫さんも前田さんも、20年前アンニュアージュトーク誕生以前からの友人(というか、筑紫さんは“お父さん”だったが)だったから、まあくの構成作家という職業と、この二人の“親友”がいて、アンニュアージュの発展があった、と言っても過言ではないだろう。

もちろん、アンニュアージュでお知り合いになり、その後、素晴らしい方々を紹介していただいたり、多数回登場していただいた、北方さんや、美輪さん、吉川さん、西城秀樹さん、石井竜也さん、も忘れられない恩人だ。北方さんに紹介していただいた大浦みずきさんもそうだ。大浦さんもこの“場”をとても気に入ってくださって、多彩な皆さんとご登場していただいた。

天海祐希さん、真琴つばささん、姿月あさとさん、和央ようかさん、瀬奈じゅんさん他、大勢の宝塚トップスターの出演を可能にしたのは、最初に大浦さんに出ていただいたおかげ、だと思っている。大浦さんとは、アンニュアージュトーク以外にも、20本を超えるダンスと歌のショーを創った。本当に忘れられない、まあくの初めてのミューズだった。

 
コーセーアンニュアージュトーク、200回、のべ400人のゲストの皆様、改めて感謝します。皆さんのおかげで、まあくも成長することが出来ました。400人の皆様の、アンニュアージュトーク感動・仰天エピソードを、“まあくの仕事・友人”とともに、近いうちに一冊の本にまとめてみようと思っています。

読者の皆様も楽しみにしていてください。

ご支援いただいた大勢のファンの皆様にも、心よりありがとうございます。

そして何よりも、20年、長きに渡りスポンサードしていただいたコーセー様に、
文化教養に多大な理解をいただいた小林禮次郎社長(当時)、一緒に制作した堀ちゃん、橋田さん(当時)はじめ宣伝部の皆様に、心より感謝します。

2010年2月22日(月)第200回、これまで多数回出演していただいたゲスト15人が登場しての豪華なファイナル回です。皆さんのおいでをお待ちしています。

そしてまた「コーセーアンニュアージュトーク」がどう生まれ変わるか、ご期待下さいせ。

☆アンニュアージュトーク詳細はMARK&Iホームページにて


「2009、夏の終わりに」 (ビューティービジネス誌連載より)

 2009年 夏の終わりに
       まあくまさこ

今朝の新聞一面に、「投票率が前回超す70%に達する可能性がある」と出ていた。
いよいよ明後日8月30日は総選挙の日だ。

小泉さんが、郵政民営化を錦の御旗に、刺客だ何だと“劇場的”に戦い圧勝した前回。4年前の2005年のことだ。華々しく沢山の小泉チルドレンなるものが誕生した。
昨日はただの若い人、今日は衆議院議員先生となった杉村太蔵さん、とかもいた。4年間の議員生活、私は何をしたのだろう?と、しみじみ振り返っている今日この頃だろう。
数年後、“あの人は今”的存在と彼を揶揄するマスコミは、彼よりも、彼を“時代のホープ”と選んだ圧倒的多数の人々の、政治意識を揶揄すべきだろう。
そんなこんなの反省踏まえ、もうもう、いくら何でもこの政権にはこりごり。の反動で、新たな政権を、まさに消去法で選ぶしかないのが今回の選挙だろう。
今更ながら小泉さんの功罪問う気はないが、少ない功の大きなひとつが、それまで政治に無関心だった若い人々も政治に目を向けた。ということだろう。ならばそれから数年がたち、少しは見る目も成長した若い人たちが、今回みんなきっちり考えた1票を投じたら・・・。
投票率は70%超え、の結果になるかもしれない。ちなみに4年前は小泉効果で68%と、かってない投票率となった。が、20代の平均投票率は50%未満。半分に満たなかったのだ。
その68%の“効果”が大勢の小泉チルドレンなるものを生み出したのだから、残る32%の罪は重い。
この原稿を皆さんが読む時は、もちろん結果は出ているわけで。
今は結果の予想より、少なくも、投票率が限りなくアップすることを祈りたい。高い投票率が、政治家や政治家志す人たちのライトスタッフ(資質)を、限りなくアップさせることになるのは間違いないのだから。
いくら世襲を非難しても、その政治的資質関係なく二世三世が当選してしまう、大きな原因が、投票率の低さだ。
我慢してせっせと税金払ってるのだから、我慢せずに、税金使う人たちをしっかり選ぶ権利を行使したい。

昨今選挙関連ニュース以上に、日々目に付くのは、酒井のりピー騒動と押尾学事件だ。
何本ものワイドショーが“のりピー”で最高視聴率を稼ぎだした。(何だかんだ言っても、みんなノンキだなあ)
これが、「やっぱりね」みたいなタレントならこうまでの騒動にならなかっただろう。
“のりピー覚醒剤疑惑”は知る人ぞ知る、ところであったらしいが、一般的には寝耳に水。
真面目で可憐、結婚後も、可愛い奥さん、しっかり素敵ヤンママ、で通っていたし。
十何年も前だが、仕事柄ご本人と何度も会っている。本人描くのりピーキャラクターが好きだったうちの娘にと、絵をもらったりもした。いやみのない可愛らしさしか覚えていない。
この一連で,まわりの女性たちの圧倒的な意見がある。当たり前だが、とにかくのりピーの旦那が最低の最低。この男と結婚したことにより、のりピーの転落が始まった、と。
最初は同情。それからは、実はのりピーは、云々。亡くなったお父さんがどうだった、弟がこうだった、クラブでノリノリだった。とマスコミはイメージと違うのりピーの“実態”書きたてる。そんなことより100%悪いのが、この旦那、自称サーファーとかの最低最悪男だ。
そんな男を結婚相手に選んだのりピーも自業自得、なのかもしれないが、愛しちゃったらしょうがない、の気持ちも女の子ならわからなくもない。
芸能界復帰は難しいだろうが、これできっちり離婚して子供と一緒に立ちなおってほしい。
押尾学被告の奥さんもそうだ。何で、あんなに才能ある可愛い女優さんが、あんな男と結婚したのか???まあ、愛しちゃったんだろう。(この一件でさすがにダメ男を切ったが)
人気もの有名人、だけじゃなく、なんでこんな男と結婚するの?的女性は、まあくのまわりにもいた。
結婚したのは若気の至り、で仕方ないとしても、なんで離婚しないの?である。
多分、彼女たちの場合は、かの女優さんたちと違って、自分に自信がないことと、意地、だ。男のルックスがいい、優しそう。エリートそう。見栄えだけ。我慢たりないだけで転職繰り返す男のことを、ヘッドハンティングされた、と思い込もうとする。結局は、言うほど出世もしてないからケチ臭いことばっか、女房子供に言う。自分を飾るプライドはあるから、変に外面だけはいい。歳をとったら、全く内面ないから、頼みのビジュアルも大したことなくなる。それでも彼女は他人から見える自分ちの“家族の肖像”のために、つまんない、何の趣味も潤いもない毎日を生きている。狭い世界で。
止まれ。そう思うと、中途半端に浮気繰り返すくらいの悪い男より、徹底最低男のほうがすっきり捨てられる、というものか。あまりに重い見返りを背負うことになるが。

そんな中、狭間にくるのが、マイケル・ジャクソンの話題。先日“他殺”と発表されたが、こちらも原因はクスリだ。
彼の来日公演二度とも観に行っている。「スリラー」「BAD」はじめ、マイケルのLP、CD、全て持っている。マイケルと同じ世代なら、みんなそうだろう。
「トゥチャー」の楽曲で、武道館で開催した世界ダンス選手権のオープニングを演出したこともあった。
先日お盆休みに行ったシンガポールのオーチャード・ロードで、偶然マイケル特集をやっていたCD屋さんに入った。世界中がマイケルの、あまりに突然の死を惜しんでいるのを肌で感じた。
「マイケルは世界一有名になったけど、世界一孤独な人だったんだね」一緒にいた次女が、まあくが手にしたDVDを見て言った。合掌。

逃げる者、捨てる者、逝く者、戦う者。選挙のこの国の“結果”を残して、そして今年の夏も終わる。
あなたの夏は、いかかでしたか?

夢は破れ、夢は叶う VOL2

連休直前の金曜日の仕事終わり、いつものように、長女がいる南紀白浜へひらっと飛んだ。50分のフライトで、爽やかな風と白砂ひろがる海である。パンダと温泉三昧の週末を過ごして、さあ明後日はまた本番だと、機嫌よくPCを開けた日曜日の夜。と、先日書いたまあくの連載エッセイに、意外!なリアクションが来ていた。アメリカのオレゴン州ユージーンに住む友人Kのことを書いたのだが、そのKからだ。
なるほど、アメリカの田舎町というのは、日本の田舎などと比べ物にならないくらいとてつもなく田舎で、広大な土地に狭くて狭い社会がある。中でも特に、日本人社会が、信じられないくらい、狭くて狭くて狭いのだろう。
それにしても、まさか、遥かユージーンでまあくのブログを見てくださっている人々がいるとは。Kさえも、ユージーンでの子育ての忙しさ、時間の余裕のなさ見てしまっていたから、実際その後まあくの、今世紀最大精神的危機(ちとオーバーか)の際にも、そのリアクションの遅かったこと、も含めて、今は自分たちの生活で精一杯なのだろう、というのは十分理解していた。当たり前だ、みんな忙しい。
こちらもありがたいことに充実の仕事とオフで、ぎっしり毎日愉しんでいたから、意識も遠くのかなたになっていたのだ。実際の頭文字も、Kではないし、旦那もFではない、とそこまでは気を使ったつもりだったが。
それが意外やあちらはしっかりまあくのブログを見ていてくれていた。こちらが仰天して恐縮してしまった。
先ごろのスーザン・ボイドさんの話題から、ついKを思い出してしまった。いつものまあくの思い込みで、Kなら、もっともっと活躍出来るのに、と。それもこれも子育てKに任せっきりの旦那Fの協力の無さ。とFに対する憤懣で、つい書かなくてもいいことまで書いてしまったようだった。実際Fが(ここではもう書けないが)ユージーンの家の庭で、Kに対してまあくに言った言葉に、心底腹がたった。その時その言葉をKに告げなかったのは、それでもFに希望を持とうとしているKの気持ちが解ったから、Kを傷つけたくなかったからだ。
そんなことも思い出し、結局Kを傷つけることを書いてしまったようだった。Kには本当にごめんなさい。
というわけで、明後日本番控えながら、企画書原稿も明日締め切りあるけど、急遽VOL2を書いている。


まあくは、20年以上前から、東京でばりばり仕事をしていたKを知ってる。まあくのエッセイにも“美人の友人”として度々登場する、自慢の友達だった。
そんなKが、困難乗り越え素敵なアメリカ人の彼と結婚した時、心から嬉しかった。
しかし、時がたち、Kから旦那のことを聞くほどに、そんな旦那とは別れるべきだと確信してしまった。そう、余計なお世話だ。
「もう旦那と一緒にいるのは無理だ」、だから、と、悩んだ末Kは、二人の子供を連れて、アメリカに行った。その理由を当時Kは色々な言葉でまあくに説明した。行く先が、それまで聞いたこともない、オレゴン州!ユージーン!(何処?それ?)でなければならないことも。
一時疎遠になったりしたが、早くからPC駆使してメール三昧のKと、遅まきながらPC使えるようになったまあくがやっとこさのメールで繋がったとき、Kはホントに喜んでくれた。また付き合いが復活した。
この何年間、ユージーンにおいで、と何度も何度もKから誘いがあった。何もない田舎だが、自然の素晴らしい、安らげるところだと。
スペイン一人旅、アルゼンチンのブエノスアイレスでタンゴのショーを創る旅、オーストラリアはメルボルンとブリスベンに、娘がホームステイで世話になった家族にお礼を言う旅、中国の山奥、臥龍にパンダの里親になる旅(1年分のご飯代寄付したら子パンダに名前をつけられる〜で、愛華―アイホアと名付けた)から、ボルネオにオラウータンに会いに行く旅。がんを克服した友人に会うためだけに、正月休みにシドニーに行ったこともあった。隙間を縫ってハワイやグアムにボンヤリしに行った。ここ数年だけで、生き急ぐように、スケジュール駆使して世界中回っていたまあくだったから(実際その頃TBSの山田さんに、何を生き急いでるの?と言われた)、Kは、まあくならユージーンだって簡単に来られる、という感覚があったのだろう。
が、「地球の歩き方」一冊あれば何処にでも行けるが、オレゴンのユージーンの案内書なんて、どこにもない。(ちなみに、承知はしていたが、誰の迎えもなく一人でユージーンの空港に降り立った時は、何が何だか解らなくて絶望的になった)それでもエイヤ!と行ったのは、Kが、日本から旦那が来てる間はまあくと会えないが、自分がいない間も、自分の友達がフォローしてくれる、と、実際Kの友人に連絡してくれた。ホテルもユージーン一番の良いホテルを予約すれば快適だし、まあくの好きな乗馬も出来るし、と熱心な誘いに、Kのユージーンでの寂しさを感じたから(かってに感じてしまったのだ〜すみません〜全然寂しくない、と言われた)行ってあげよう、と。もちろんまあく自身も、リフレッシュしたかったのは、確かだ。
Kと会えない間は、乗馬と、のんびりホテルで宿題してよう。たとえ2日間でもKとゆっくり話しが出来ればそれでいい、Kも喜んでくれるだろう、と思って決めてしまったのだ。
それは決して、自分の話しを聞いてほしい、ということだけじゃない。実は前回のエッセイに、つい御世辞で、落ち込んでいたまあくが話しを聞いて欲しかった、と書いてしまったが、まあくは実際、そのときはあることで心配はしていたが、決して落ち込んではいない。
大体自分の悩みを聞いてほしいだけなら、わざわざ飛行機トランジットもありーので、十何時間かけて、1泊200ドル余りのホテル12泊もとって、案内書ひとつないわけわかんないところに行くのに、空港に迎えもなしに、そうまでまでして、絶対行かない。
そんなことしなくてもタクシーで5分、西麻布で、まあくの日々の仕事も気持ちもまじかで見てる(それも忙しく活躍してる)友人といつでも会える。彼らは、もしまあくが落ち込んでいたら、嫌というほどまあくの話しを聞いてくれる。というより、「飲もうよ、まあくの話し聞くのは愉しみ」とばかり、ホントは忙しくて寝るのを削っていても、まあくを誘ってくれる。
それに、だからってまあくには、愚痴や悩みをくよくよ語る、気持ちも趣味も必要も、ない。悩みも愛も、みんな作品に芸術として昇華することが出来るからだ。それがまあくの仕事だ、と自負している。
んな訳で、話し聞いてほしいだけで、そこまで行く奴は、誰もいません。
わざわざオレゴンに行くのは、何の有名どころも何もなくても、時間もお金も使ってそこに行くのは、そこにいるKに会いたいから、Kのために行ってあげたい、という切な気持ちがあの時あったからだ。
これまで、日本からKに会うためだけに、誰か友達がオレゴンに来ましたか?そんな迫力、多分誰もないだろう。
だけどKにとっては、頼んだわけじゃない。そのとうりだ。そう、まあくがかってにタイミング悪い時期に行っただけの話しだ。ほんと、申し訳ない。
Kが、小学生の長男が描いたという絵を見せてくれた。パパと、パパを見送る自分の絵だ。目には涙が溢れている。まあくはその絵を見て胸が一杯になった。
Kが,旦那と一緒にはいられない、でユージーンに来たのなら(それだけではないにしても)、旦那に、Kと子供たちと一緒に暮らそうとする努力がないのなら、何故Kは旦那と離婚しないのか。そんなこと思うまあくが間違いか。まあくはそんな矜持のない生活は、絶対に絶対に嫌だ、と思ってしまったのだ。間違いか。Kが素敵な自慢の友達だから、とても悔しかったのだ。そう、悔しかったのだ。もったいない、Kなら堂々とやり直したほうが、100倍素敵に生きられるのに、って。そのほうが子供たちにも幸せなんじゃないか、って。
Kからしたら全く大きなお世話だ。Kの気持ちは、それでも旦那と繋がっていたいのだ。それが初めてわかった。彼の妻でいることが、“よるべ”なのだ。前回“未練”なんてまあくが書いたのは撤回します。俗に言う筆が滑った、ってやつだ。ケチ旦那も撤回します。まあくの家庭がお金にテキトーなだけで、きっとしっかり旦那なのだろう。
でもまあくは、年子の赤ちゃん二人を育てるのは大変だとお手伝さん雇ってくれたり、パンダの名付け親になるのに65万円寄付しても、エルメスのバッグより有意義なお金の使い方、って理解してくれる自分の旦那や、まあくが観たいと言えば5万円のオペラのチケットとってくれる彼しか知らない。そういうのが、旦那だ、って、男だ、って、そう思っていた。やたらお金に細かくて、それもK一人に大変な子育て任せっぱなしにしてる旦那には、ひいてしまったのだ。重ねてお詫びします。
とにかくそんな愛もあるのだろう。まあくは理解できないけど、人それぞれなのだ、まあくにしのごの言う権利は、全くもって絶対、ない。そこに関与する興味も、正直、ない。当たり前だ。そこまで暇じゃない。
ユージーンで幸せになって欲しい。いや、十分幸せなのだ、とKは断言する。そうなのだろう、良かった。本当に。
ただ、寸暇を惜しんで大学に通って英語の勉強もしてるKを、本当に立派だと思うけど、あまりがんばりすぎないで、とも思った。見ていて精神的にも時間的にも余裕のない生活になってるのが、(こちらがかってに)心配になったからだ。
二人の子供にも、執拗に注意ばかりしていた。素晴らしくいい子供たちなのに。“教育”をアセッているように見えた。ご近所さんにも凄い気を使っていた。飼ってる大きな犬にさえ、“癒される”どころか負担のように見えた。旦那がいない長い日々を、自分が取り仕切っていかなければ、という“頑張り”がひしひしと伝わってきて、何て言うかけなげで痛々しい感じさえしたのだ。
ご近所さんと言えば、近所のアメリカンリタイヤ夫婦を紹介してもらっても、まあくは興味ない、と書いたのは、決して悪気じゃない。当たり前だ。まあくはKのように英語も堪能じゃない。微に入り細に入り話せない。ニューヨークに住むアーティストの熟年夫婦なら、ブロードウェイのステージなど、同じ興味の共通言語で話しも弾むし、拙い英語でも十分気持ちは理解しあえる。しかしずうーとユージーンで、公務員勤めて引退して年金暮らし、自分で家を改装するのが趣味の夫婦と、どんな話しをしていいのか、それもまあくの英語力で。
だからKのおかげで知り合えた日本人の妻たちとは、すこぶる興味深く話しが出来た。楽しい時間をまあくにくれて、ホント感謝している。前回にも書いたクエさん、その友達のゆきちゃんとあやこちゃんにも。
ゆきちゃんの旦那は日本人で、東京の某大学教授だが、ゆきちゃん自身も学究の徒で、旦那と研究成果を競っていた、というからかっこいい。旦那との喧嘩シーンの再現話しも爆笑ものだ。その後、ゆきちゃんが日本に一時帰国した時、まあくの「アンニュアージュトーク」を恵比寿に見に来てくれた。感激。実際に足を運んでくれるって、ついでながらもやっぱまあくは凄い凄い嬉しかった。楽屋に来てくれたら、きっと打ち上げも誘っただろう。はるばるユージーンから来てるゆきちゃんを歓待したい、それがまあくだ。後にゆきちゃんから届いたユージーンのナッツ、超美味しかったし。
あやこちゃんは沖縄出身。旦那はアメリカ人ですでにリタイヤしているそうだが、我かんせずのマイペース、の感じが愉快。それに息子さんがいい。オレゴン大学に通う20才。彼には何度か乗馬クラブに車で送ってってもらった。なかなかのハンサムくんでテニスもプロ級らしい。お母さんに対する彼の態度がまた気持ちいい。
  彼女たちが、何故どうして今ユージーンなのか、ゆっくり聞いて、本にでも書きたいと思った。「ユージーンの妻たち」ってね。冒頭に書いた海外の田舎での日本人社会の狭さも、ある意味興味深い。
 今は、上海の友人宅行くのをパスしても、八ヶ岳で次女共々乗馬に夢中になってるまあくだが、馬に乗るたびユージーンのあの広い空と、Kやユージーンの妻たちを思い出している。
 

みんなの夢が叶いますように。

夢は破れ、夢は叶う(「ビューティービジネス」誌より)

夢は破れ、夢は叶う 
     まあくまさこ
今、インターネットで一番の話題は、一般人47歳女性の熱唱シーンだ。
 有名な全米オーディション番組「アメリカン・アイドル」の英国版に「ブリテンズ・ゴット・タレント2009」というTV番組がある。その番組に先日(4月11日オンエアー)出演したスーザン・ボイルさんが話題の主だ。 
早速まあくもインターネットで検索し、スーザンさんの“奇跡の歌声”を聴いた。曲目は、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の「夢やぶれて」。確かに素晴らしい歌唱だった。が、感動の元原は、スーザンさんの歌声以上に、そのビジュアル的ギャップであった。
一見、でっぷりおじさんが、ダサいワンピを着て、むりくり女装したような風貌。47歳の年齢以上に老けて見えるし。
最初スーザンさんが登場した時、3人のスタイリッシュ審査員は、「何でアンタが此処に出て来るのよ」的態度だった。それは、大勢の観客も一緒で、スーザンさんが一言しゃべるたびに、バカにしたような爆笑が渦まいた。
が、歌のイントロが始まり、彼女の第一声聴いて、全ての人々の態度は一変した。賞賛の歓声と拍手。審査員の一人、スーパーモデル風やり手美女の目に、瞬く間にうるうる感動の涙が。
まあくも聴いていて、その拍手と歓声がうるさく思うほど、もっとちゃんとその歌声聴きたい、といらいらするほど、それは見事な「夢やぶれて」だった。
スーザンさんは、スコットランドの小さな町で教会のボランティアなどをして暮らしている。独身(これは別に驚くことじゃない)で、これまでキスも1度もしたことがない(これは驚く!)、という清純乙女。っていうか、本人の意思とかかわりなしに清純人生送ってきた、って感じだ。今まで大勢の人の前で歌った、なんてことも、勿論一度もない。
今やスーザンさんの元に、テレビ番組出演やマスコミ取材のオファーがひっきりなし、だとか。
スーザンさんの人生は47歳から始まったのだ。ホント人生って面白い。

まあくは、最近友人の吉川晃司君に誘われて真面目に乗馬を始めた。乗馬歴だけは長いまあくだが、これまで40年で100鞍は乗ってるか、くらいのていたらくだった。
きっかけは去年の夏、アメリカのオレゴン州ユージーンという田舎町に、2週間滞在したことだ。
目的は長年の友人Kと会うため。Kは、15年前まで東京でバリバリ仕事してた、このエッセイでも「美人の友人」で度々登場してた、まあくの自慢の友達だ。まだ幼い二人の子供とユージーンに住んで5年になる。そのKに会うためだけの目的で行ったユージーンだったが、Kはまあくにすこぶる素敵な乗馬友達を紹介してくれた。
中国人の父と日本人の母を持ち旦那さまがアメリカ人、というインテリ美人奥様、クエさんだ。クエに紹介された乗馬クラブのオーナー、カトリーヌも素晴らしい乗馬の先生で、ほぼ毎日クエさんの車で乗馬に通った。
クエさんの「人間には2種類ある、それは馬に乗る人と、乗らない人」と言う馬哲学も、クエさんの以前の仕事のキャリアの話しも、愛読書の話しも面白い。クエさんの東京の実家が、まあくが以前ずっと住んでた代官山、というのも楽しい偶然だった。

東京に戻って、丁度、NHKの大河ドラマ「天地人」で織田信長役を演ることになって乗馬の特訓を始めたという吉川くんと、よく飲み屋で馬の話しをした。
そして今年3月、吉川くんが信長役での乗馬シーンを無事終えた後も、時間を見つけては通ってる、という八ヶ岳の乗馬クラブに連れてってもらった。
ユージーンでの、鞍の装着から放牧まで、の乗馬体験以後、自分の一生の趣味は乗馬ではないか、とぼんやり思っていたまあくは、八ヶ岳で確信した。やっぱり、まあくの夢は自由に馬を操れることだ。馬と一体になって野を駆けることだ。これまで海外では、草原も山道も海岸も馬で駆けた。だがそれはただがむしゃらに奔ってただけだ。
今回は本当に基礎から習った。常歩(なみあし)速歩(はやあし)駈歩(かけあし)。図形運動なども。この1ヶ月半で、20鞍以上乗った。
ちなみに乗馬では、1鞍(30分)の単位でレッスンする。ビジターで、個人レッスンで先生についてもらうと、1鞍大体1万円くらい。ちょいと高い感じもするが、ゴルフと同じくらいだろう。それに全身運動だし、太ももはすっきり締まるし、ヘタなダイエットに大枚かけること思えば、全然安い。最初は2鞍も乗るとへとへとだし。
次女もハマって、今では次女がお気に入りの馬もいる。「暴れん坊将軍」に松平健さんとオープニングで出てた白馬、ホワイトダンサーだ。まあくと次女は八ヶ岳に1回行くと、2日間で大体5〜6鞍乗ってる。
ここ何年も、たまーに馬に乗ってはぼんやり考えてたまあくの夢が、この調子で八ヶ岳へ通えば、ようやっと今年実現するのだ。「ダンサーを自分だけの馬にしたいな」などとのたまう次女と、確かに自分の持ち馬っていいね、と夢は広がる。
思えば、Kに会うためだけにユージーンくんだりまで行ったのは、自分自身が何かから逃げたかった、という状況もあったからだろう。あの時を思えば今の自分は、また新しい作品を創りたい、あれも書きたい、これも書きたい、というまあくに戻った。何と言っても仕事と同じくらいオフが嬉しい。きっかけは、ユージーンでの出会いかもしれない。
クエさん、カトリーヌ。クエさんのお友達”ユージーンの妻たち”あやこさん、ゆきちゃん。そして、懲りずに文句ひとつ言わず、毎日まあくに付き合ってくれた最高の馬、ミッシー。
それを思えば、色んな事情が重なりKとはゆっくり話すことも出来なかったが、結局Kには感謝だ。

吉川くんを特訓して、まあくも教えを受けてる八ヶ岳のO先生は、なんと25年ほど前、ウエスタンをクエさんに習った、のだそうだ。これも凄い偶然だ。
O先生は、今年の1月に離婚し、新しい乗馬クラブを創った。とても素敵な先生だ。ビジュアルも、その生き方も。潔いのだ。それが一番だ。そのほうが人生かっこいい。何だかんだ自分に言い訳して、結局潔く生きられない人が世の中にはたくさんいる。そんな人たちは「世の中は何て美しいのか、人生とはなんて甘美なものか」(これは瀬戸内寂聴さんが”釈迦”で書いた、釈迦の最後の言葉)ってこと、きっと解らないで人生終えるのだろう。
夢が破れて泣き腫らしても、次の夢を掴めばいい。夢が破れることもなく、叶うこともなく、夢を取り繕うのだけはごめんだ。
クエさんが、0先生は昔からかっこよかった、馬の技術も生き方も。ってメールで書いていた。今でも馬でオレゴンの広い大地を駆ける、そんな人生を生きているクエさんもまたかっこいい。

スコットランドのスーザンさんも47歳で夢が叶った。
世界のどこかで、今日も夢が破れ、夢が叶って行く。


それでも“だから一人旅は楽しい?!”(「ビューティービジネス」誌より)

 今年の夏サンフランシスコに一週間滞在したのは、たまたま、のことだった。
 オレゴン州ユージーンというところに、5年余り住む友人に会う為に、3週間休みをとり、取り急ぎ国内線乗り換え地、サンフランシスコ往復エアをとった途端、友人の予定を聞いた。
 曰く、まあくが来た2〜3日後に、丁度単身赴任先からダンナが帰ってくるので、すぐに家族でバカンスに出かける。(えー!)でもまあくが日本に帰る1週間前にはユージーンに戻る。(ふむふむ)が、ダンナがいるので家には泊まってもらえない。(げっ!)が、ユージーンにもいいホテルはあるし、最後の2日間だけは、ダンナも赴任先に戻るので、まあくも泊まれる。(そっか・・)自分のいない間はまあくの好きな乗馬とか、何かと日本人友達にフォローしてもらえるようにするし、アルバイト料1時間10ドルも払ってくれたら、運転する者も紹介する、云々、ということだった。
 エアチケットは変更することも出来た。
 が、自分のいない間のフォローまで面倒な思いして、色んな人に頼んでくれたのだ。何年来の約束がやっと実現して、彼女も電話でとても嬉しそうだった。
 “産業”は、オレゴン大学だけ。“自慢”は自然だけ。の田舎町に、幼い子供と暮らす彼女の寂しさも解っていた。だから、何もなくていい。彼女と思いっきり語り合える日々を過ごしたい。そのためには海外繋がる携帯持って、事務所との連絡絶やさぬ状態にし、宿題資料持ちでパソコン抱えての旅でもいいや、と覚悟していた。
 結局悩んだ末ぎりぎりに折衷案を出した。乗り換え地、今回初めて行くサンフランシスコで1週間の一人旅。あとはユージーンで乗馬三昧と宿題で友人を待てばいい。
 となれば、12泊分のユージーンのホテルは友人に予約しておいてもらえばいいとして、急遽サンフランシスコのホテル一週間分をゲットしなければならない。
 7月から8月にかけては、シスコは超オンオンシーズン。観光客だけでなく、数多(あまた)のコンぺテイション開催の真っ只中だ。ホテル代金はどこも通常の1,5倍。それでも直前の7連泊ゲットは難しい。
 だがラッキーにも、3泊だけだが、高台高級エリア、ノブヒルの超快適2部屋続きコンドミニアムをネットで予約出来た。
 後は、これまで海外一人旅お得意パターン.。現地にさえ行けば、インフォメイションかコンセルジュが、どこか紹介してくれるだろう、の勢いで、成田をたった。

 20年前、初めてニューヨークの街に降り立った時の興奮。を思えば、シスコの印象は、何てことない。坂道ばかりだからどこも立体的で、絵画的に美しい街並みが揃う。でもイマイチ感性に訴えてこない。自分が歳とったからとかでなく、全然違う魅力なんだ。
 それでも、1日めで縦横に走るケーブルカー駆使することも覚え、ホテルスタッフ、トニーの紹介で各国観光客に混ざってシティツアーに参加したり。それなりシスコの街を散策した。観光センターにも行き、残る日数のホテル探しもした。が、どうにも4連泊がとれない。全くシスコの夏を甘くみていた。
 「I left my heart in Sanfrancisco」と、いたるところで合唱させたがる、そんな街なのに。
 嗚呼、何でこんなとこ来ちゃったんだろう?
 唯一楽しみにしてたサンフランシスコ近代美術館。企画展は、まあくも好きなフリーダ・カーロをやっていた。サルマ・ハエックが主演制作して生涯描いた映画「FRIDA」でも有名な、メキシコの、あの眉毛繋がった個性的美人画家だ。やはりここぞとばかり人々が詰め掛けてた。
 ある意味絵以上に興味深かったのは、フリーダと、絵の師匠でもある夫リベラ・ディエゴを映したホームビデオの映像だ。
 彼らの自宅の庭に咲く花々。リベラが1輪とり、フリーダに渡す。フリーダは満面の笑みでリベラにキスをする。何度も。リベラの手を握ったり、頬に当てたり。3分ほどの映像を、何度も繰り返し見た。胸が熱くなる。フリーダがどんなにリベラを愛していたか、フリーダの絵の根源が、この3分に凝縮されているのだ。
 どの絵の前も黒山の人だが、この素敵なコーナーには、何故か客もまばらだ。そう言えば駅から歩いて来る途中にあったギャラリーに、ふらりと入ったが、お客はまあくだけだった。やはり二ューヨーク近代美術館近辺とは全然違う。
 何かうんざりして、せめて雄大な自然に行こうと、ヨセミテ公園ツアーを調べたら、一人だけなら席はあるが、何と、ヨセミテに行く途中が山火事!火の手はひろがる一方で、一部の道路が封鎖されている。そんな、“飛んで火に入る状態”なんて、と、こちらはその1席を辞退する。それにしても、1席残すのみでツアー全てが満員とは、観光客パワーが凄いのは日本人だけじゃないんだ。
 で、仕方なく探し出したのが、リゾート地モントレー2泊ツアー。ゴルフ場と、野生のラッコやあざらしが生息する自然そのままの海が有名だ。以前クリント・イーストウッドが市長してた山間の小さなこじゃれた町、カーメルに立ち寄り、「怒りの葡萄」のスタインベックゆかりの地、キャナリーロウや、新鮮シーフード“サッポロ”のレストランが超繁盛してたフィッシャーマンズワーフなど、時間つぶしの2日間。
 勿論日本人はまあく一人。送り迎えのバス時間からややこしい数多の確認は、テキトー運転手相手に当然ながら英語(早口)のみ。かえって神経疲れたリゾートではあった。 
 シスコに戻っての残り2泊は、トニーが奥の手使って部屋をとってくれたので、同じ快適コンドミニアムに戻ることが出来た。
 最後にシスコの沖合いにそびえるアルカトラズに行った。それこそイーストウッドの映画でも知られる世界一有名な刑務所。シーズンはなかなかチケットがとれない大変な人気ツアーだ。まあくが前日の電話一本で行けたのは、パウエルの観光センターで偶然知り合った美人ツアー・プロデューサー、奈津子さんのおかげ。
 この、なっちゃんとはスタバでお茶して色んな話しをした。教えて貰った美味しいレストランも間違いなかった。
 そういえばシティツアーでバスの隣席に座ったマイケル・ダグラス似イタリア人のセルジュ。彼とはジャパニーズガーデンを一緒に歩き、拙い英語どうしでかえって話しが弾んだ。
 思えば、この二人との出会いが、サンフランシスコ一番の思い出だ、と、2枚の名刺を眺める。次回きちんと目的持って、なっちゃんと遊ぶサンフランシスコはきっと面白いだろうし、ミラノに行った時は、セルジュが迎えに来てくれる、そうだ。
 やっぱり“だから一人旅は楽しい”
 この後のユージーン編は、いつか「ユージーンの妻たち」で書きます。お楽しみに。
 PS 「地球の歩き方」に出てるヘンリー某なんて、ちっとも役に立ちませんから。

中国の復興は美しい言葉から(「ビューティービジネス」誌より)

中国の復興は美しい言葉から 

成都から、車で無整備の山道5時間かかって臥竜のパンダ研究所を尋ねた。去年2月のことだ。山深い四川の清らかな空気の中、100頭を超えるパンダたちが伸び伸び暮らしていた。これも縁と、生後6ヶ月のパンダの名付け親になった。一緒に行った長女の名、愛(いとし)と、中国との友好を込めて“愛華”(アイホァ)と、名付けた。  先頃6月のはじめ、パンダ研究所からメールが来た。愛華は無事で、今は元気にしている。大変な被害だったが、やっと少し落ち着いた、というような内容だった。笹を食べる愛華と、倒壊したパンダ舎の写真も添えられていた。  確かに世の中的には“パンダどころじゃない”状況だろうが、まあく的には、あえて顰蹙かってもパンダを通して、中国に援助をしたい。  以前阪神大震災の折、大手化粧品会社からのリップクリームの配給に、女性のみならず男性たちも喜んだ、という話を聞いた。  直接的な食料の援助は確かに大事だが、リップにしても化粧水にしても、心を潤す化粧品の援助は、食料品と同じくらい大切なものだ、と実感した。  「人はパンのみに生きるにあらず」聖書のこの言葉は、真理だ。だから中国の人々の心の友、パンダを守ることは“それどころじゃない”こともない、のだ。  岩手、宮城地震で被災された皆さんにも、そんな心使いこそ必要だろう。

 大地震直前の国家主席の訪日といい、その前の毒入り餃子問題など、経済発展以上に何かと話題の中国。  少し前には、古(いにしえ)の北京を舞台にした「トゥーランドット」が赤坂で上演された。TBSアクトシアターが新装しての、局をあげてスポットうちまくり公演だったから、皆さんもよく覚えておいでだろう。あのプッチーニのオペラにもとづいたストーリーだが、音楽は勿論別モノ。  “ミュージカル”なのに、唄えない人気者が、お金かけまくった舞台で、中身の全くない“スペクタクル”を“繰り広げて”いた。  今、思いだそうとしても、楽曲のワンフレーズすら思い浮かばない。  が、唯一感動したワンシーンがあった。主演のトゥーランドット姫を、鳴り物入りでTBSが中国から呼んだ、アーメイという歌手が演じていた。感動は、彼女のその評判の歌声ではなく、中国名前の家臣の名を、次々と呼び上げるシーンだった。その妙なる発音の優雅さ美しさ。  それまでお姫様言葉のカタコト日本語セリフ(深刻な場面でも笑いさえ誘った)をしゃべっていた彼女とはうって変わった、威厳と高貴に満ち溢れた一瞬だった。  まあくが演出なら、絶対彼女だけは全編中国語で通させただろう。有名で単純なストーリーでもあるのだし。  それにつけても中国語の発音の美しさ、多分広東語ではなく、北京語だ。臥竜に行った時も、上海や成都の空港で響き渡る女性の案内の声に、何度立ち止って、聞き入ったことか。  海外の旅行先で、よく中国人と関西人を間違えてしまうことがあった。特におばさんたちの、“しゃべりまくっている”、様子がそっくりなのだ。それまで、そんなうるさい感じの中国語しかイメージなかったが、実際中国に行って、ゆったりとした女性の声で聴く中国語は、なんて優雅で綺麗なんだろう、と感心感動した。  舞台では、アーメイの呼び上げる名前ひとつひとつが、詩のようだった。  美しい言葉と言えば、この方の日本語の耳触りの心地よさに感心した。    つい先日、東京スカパラダイスオーケストラ(スカパラ)のコンサートに、政治学者の姜尚中先生とご一緒した。うちで企画・制作している「コーセー・アンニュアージュトーク」というトークショーに、先生とスカパラメンバーの出演が決定したからだ。  先生が心底コンサートを楽しんでくださってる様子が嬉しくて、終了後も話しが弾んだ。  テレビで見る先生は、どんな局面に立ってもトーンを変えない冷静な語り口。東大教授という肩書きと、お綺麗な顔立ちも手伝って、ちょっとお堅いイメージだったが、実際話していると、笑顔も多くフランクで、堅苦しさなど微塵もない。もっとも、まあく相手に難しい話も出来ないので、こちら合わせてくださった感はあるがー。 
 それにしても常に冷静な話し方はテレビと同じだが、趣味(何と!大型バイクに興味あり!!詳しくは新書「悩む力」で)の話しになると、そこ(言葉)に暖かさが風のように入ってくる。ソフトな声質、静かで滑らかな話しぶり。まるでフランス語を話すように、日本語を話される。ふと、聞きほれてしまうほどだ。こんなに日本語って綺麗なんだ、と。その上、説得力もある。相手の心にすっーと染み込んでくるような、そう、とんでもなく高い保湿クリームが肌に染み込んでいく、そんな感じ、か。
 近頃の若いこたちの言葉の汚さって、ホント嫌だね、って、いつも娘たちとそんな話をしていたから、先生の政治学と同じくらい、若い人たちに、先生の話し方を広めてってほしい。

 それはそうと、今回の中国大地震に、日本はどれだけ中国国民の気持ち推し量った援助が出来るか。  菊池寛に「恩讐の彼方に」という名作がある。親の仇を討つために追いかけてきた武士と、その仇である男が、人々の安全の為に共に山にトンネルを掘ることになる。何十年も、命さえかけて。そして、やっとの思いで貫通したその時、武士のその男への恨みは消え、二人手をとってその完成に泣いた、という話だ。  これは、九州の耶馬溪に実際にある「青の洞門」をもとに書かれた。  今回の大地震に対する日本の行動は、中国に対する日本の過去の過ちを、“恩讐の彼方”に出来る、一つの機会でもあるのだ。  「パンダなんかいらない」と言い放った石原さんは、その何億万倍もの税金、湯水のごとく使う機会を堂々と与える「オリンピックなんかいらない」と言う声に、聞く耳を持っているのだろうか。聞く耳がないと、到底美しい日本語なんてしゃべれない。

 危険な時期を過ぎると、その地域を1日も早く沢山の人々が訪れることが、1日も早い復興に繋がる、ということを阪神大震災の後、神戸の人々が言っていた。  今はまだ嘆きと哀しみの言葉しか聞こえないだろうが、1日も早く優雅な美しい中国語をこの耳で聞くために、そしてもちろん、臥竜のパンダたちに逢うために、また必ず四川を訪ねよう。

新米ガイドと行く、危険がいっぱい命知らずのトルコ・ドナドナツアー     (ビューティービジネス誌より)

*この原稿はビューティービジネスに連載している、まあくのエッセイに大幅に加筆して、ブログにのせました。かなり長いです、でも今後ツアーで旅行しようとしている多くの皆さんにぜひ知ってほしいツアーのひとつの実態を書いたものなので、ぜひ最後まで読んで下さい。 
  新米ガイドと行く、危険がいっぱい 
        命知らずのトルコ・ドナドナツアー  
 雪はますます激しさを増し、「この先コンヤへ進む道が封鎖されている状況」と、添乗員のY(40代女性)が心底申し訳なさそうな顔で言う。そしてバスは山道のガススタンドで止まった。
 1時間ほど前、先行くツアーから情報をもらえるから私たちはラッキー、とYは満面の笑顔で言った。その時すでにこの“封鎖情報”はもらっていたわけで、それでも同じ道に突っ込んでいくのだから、何が“ラッキー”なのか、意味わからない。
  「天気のことだから仕方ない」この言葉をこれまで何十回もお題目のごとくYは唱えていた。確かに天気次第、の場合も多々あるだろう。しかし、100%雪になる、の予想がされているのに、万が一の晴天を期待して、ツアーの行程だからと、ただ出発を早めるだけ(朝5時モーニングコール!)、ただ天気回復を待つだけ(バスん中で何時間も!)、何のフォロー(もし、この場合はこうする、という段取り等)も全くなしに険しい山道入るのって、これって「仕方ない」レベルかしらん?
  すでに成田からロシア経由してイスタンブールに到着してから3日間。トロイ、ベルガマ、エフェソス、パムッカレ、4つの遺跡を巡った行程で、ツアーの非人道的スケジュールを思い知っていた我々(まあくと次女)だったが、ツアーに入った自分たちが馬鹿だったと、諦めて従順に付き合っていたのだがー。
 勿論我々に反省も、ある。以前より一度行きたいと思っていたトルコだった。急遽8日間のスケジュールが取れた。エッセイ連載してるダンス雑誌が、グラビア4ページ、トルコ音楽とダンスも含めた旅行記掲っける、の、お約束もとんとんとまとまった。これまで、パンダと触れ合いツアー(ツアーメンバーはまあく入れて4人)で中国臥龍に行った以外は、自分でエアーとホテルを取って個人旅行しかしたことがないが、トルコは危険情報発出中。テロに巻き込まれないよう云々の情報は、オリジナルのスケジュールでインドを旅したり、スペイン一人旅したまあくにとっても、オーストラリアに8ヶ月間余り暮らした次女にとってもちょいと怖い。くれぐれも団体での行動を、などと書かれているのを見て、ついひよってしまったのだ。とりあえず安全なツアーで行こう、と。
 偶然、出発と帰国日が、ぴったしこちらの都合の良い日にハマったツアー案内を見つけ、電話したら、締め切り日直前で、残る座席は2名しかない、とのこと。詳しい内容確かめず、イスタンブールと興味深い遺跡の数々まで行ける、ということだけで即決してしまった。ほんの少しの不安は安すぎる料金だったが、オフシーズン値段なのだろう、ぐらいに考えて、安いツアーがどんなにどんなに恐ろしいものか、その時は全くの世間知らずなチョイスをしてしまったのだった。
 スケジュールが取れるの解って、申し込み電話までわずか2〜3日、出発はその2週間後、その間にも新作ライヴ制作などなど、抱えていた仕事トルコ行きの為にせっせとこなしていたから、他の個人旅の時のように、地理的関係を含め現地のこと、全く調べていなかった、いや、ツアーだから、という、“安心感”、タカくくってた部分もあったのだ。猛反省。    そして出発日の前々日の2月12日。夜9時過ぎに添乗員のYから電話があった。Yはトルコ行きに同行する旨の挨拶をし、了承して欲しい、とこのようなことを言った。
 曰く、今年になってコンヤからカッパドキアへの道が雪で封鎖され、予定外にコンヤに泊まることがあった。それは天候のせいなので、ホテル代はお客様の負担であるし、翌日も雪がやまないとカッパドキアに行けないこともある、この事は(ゴマ粒文字で)約款にも書いてある。
 そこで初めてまあくはトルコにも雪が降る、ということを知る。それも、最近も最近、1月下旬に2回。ツアー回数でいうと、1月は50%以上の確立で雪でコンヤに泊まっている。これって、1月2月のツアーはカッパドキアを行程に入れること自体が間違いじゃないか?でもカッパドキアは世界的にも有名な遺跡、これが一番のウリ、でもあるのだ。何てったって「天候だから仕方ない」の大義名分もあるのだし。
 まあく的にはそれなら申し込む時にそんなリスクは伝えるべき、と当然の怒りをYに伝えた。だが今更のキャンセルは料金だけでなく、8日間のスケジュールが惜しい。コンヤのホテル支払いよりカッパに行ける行けないより、その旅行会社の姿勢が嫌で、すでにツアーへ参加することへの後悔が芽生えていた。
 それもこれも安全のため、エイヤ!、と来てみたが、安全どころか、ツアーのほうが、次ぎから次ぎと、とんでもない命知らずなことをやってのけてくれるのだった。
  結局、コンヤまでのろのろ運転で5時間かかり(予定では2時間)、それまでの5〜6時間あわせると10時間余りバス乗りっぱなし。へとへとでホテルへ着いた。ガススタンドからコンヤへの道のりで、10台を超える車がスリップして転びまくってるのも目撃した。まさか、明日、またぞろより山深いカッパ道はさすがに行かないだろう、と思いきや、ぐだぐだの夕食の後、Yは決死の形相で言い放った 
 「色々ご意見はあると思います。途中、雪道でまた立ち往生するかも知れません、十何時間バスに閉じ込められるかもしれません、でもイチかバチかです!我々は、明日カッパドキアを目指します!」  馬鹿は死ぬまで治らない、という言葉が頭に浮かぶ。私と娘は速攻ホテルのフロントに行き、翌日の夜9時発、イスタンブール行きの快適1等個室寝台車を取ってもらった。明日は1日ゆっくりこの興味深いコンヤの町も楽しめるのだ。
 ツアーの連中は、“イチかバチか”で、カッパドキアへ向かい、その後アンカラへ行き、(間にあえば)深夜アンカラ発のイスタンブール行きの寝台列車に乗る、という行程なのだ.。
 我々もツアーに参加した以上きつい行程も我慢するが、命かけてまでも遺跡を見る気はない。Yはお二人のお気持ちは判ります、と言いつつ、この後一切の責任は負わない旨の示談書にサインさせた。
 そうまでして何故行くのか、彼ら(ツアーの人々)だって危険は感じているはずだ、とYに問いただした。
 「ツアーの人たちは、あなた方のように一人で何も出来ないのです」  酷い話だ、だからって、早い話が旅行会社(そう、これ超有名大手旅行会社です)がNG代金払い戻ししたくないからって、むりくりの危険な行程進めていいものなのか。行くだけ行ったら、そこでどうなろうと、後は天候の為、の言い訳が通る“約款”なのだ。 

 そして我々は、彼らと離れて初めてトルコという国と人々の素晴らしさを識った。
  雪道、転びそうになるのを手をつないでCD屋さんやコンヤ駅まで一緒してくれ、お茶までご馳走してくれたイスマイルと、そのかわいい奥さん(手をつないだのはもち奥さんと)。彼らとは拙い英語で、トルコの宗教、とも言えるイスラム教の世界的なイメージの話しまでした。  自分のメルアドでチケット予約など、ホテルマンの役割以上に気使ってくれたイブラハム。 モスクの前の坂道を、そりで遊んでいた10人ほどの子供たち。その坂道を転びそうになって上る私に、子供たち皆が手を貸してくれた。ふざけて雪を投げ合ったひと時、とびきりのかわいい笑顔と一緒に私と娘も子供になって歓声をあげた。
 そのモスクの前に居た3人のおじさん(多分タクシーの運転手さんで休憩中、って感じ)は、モスクの扉を開けてくれて、中を案内してくれた。帰りは、また坂道滑りそうになる私を、坂の下までエスコートしてくれたのだった。 
 その後、トイレ借りに入ったコンヤインフォーメイションのスタッフ、ユジュルは、驚異の日本語でメヴラーナ博物館のガイドまでやってくれ、最高のお店を紹介してくれた。バリッとスーツ着たハンサム5人が出迎えてくれた一軒屋のレストラン、味もサービスも最高のコンヤ料理フルコース、その上嘘みたいに安い(二人で20トルコリラ・約2000円!)これもユジュルの手渡してくれた“宜しくメモ”のおかげか。  ちなみにユジュルは、近く「地球の歩きかた」で紹介されるとか。ぜひ見てみて下さい。Mr.ビーンのローアン・アトキン似(笑)の好青年だ。
 それにしてもそれまでのツアーのご飯は、一体何だったんだろう。ツアーの人々は、あんな激不味い団体料理がトルコの料理だと思って帰国するのだ、かわいそうだがそれも自業自得。それより、そんなモノしか食べていないくせにトルコ料理のことを云々されたらトルコに対して失礼だ、との思いで腹が立つ。 
 そして、コンヤを後に、乗った寝台列車の快適ったらない。食堂車で隣合ったアフメッドは、コンヤの駅で時間の遅れを教えてくれた親切運転手さん、仕事終わりとかでビールをご馳走になる。 
 イスタンブールからフェリーに乗り換え、アジアサイドからボスフォラス海峡渡り、ヨーロッパサイドに到着間際、安岡力也風押し出し強そうな男性と、その友人風が我々の重たいデカ荷物二つを持ってくれると言う。彼らは先ほど私たちが途中間違えて下船しそうになったのを止めてくれ、親切に正解教えてくれた二人だ。タクシー乗り場まで送ってもらい、運転手に「ぼるんじゃないぞ」的おどしまで効かせてくれた。そしてイスタンブールで困ったことがあればいつでも電話してと、メモを娘に渡すと、さっさとタクシーのドアを閉め、さっそうと去って行った。彼の名はマフメッド。
  バザールで、かわいいブレスレットを娘にプレゼントしてくれ、いろんな情報教えてくれたのは、お土産物屋さんのエルカン。  バザール抜けた凄い雑踏の中、不安げに雪降る歩道で手をあげてると、ジェラール・フィリップの瞳をした男性が、タクシーを止めてくれ、これまた「正確に行くように」と運転手に釘さしてくれた。彼の名は、残念ながら聞いてない。
 他にも色々、小さな親切いっぱいいっぱい受けた。これが、ツアー離れていた2日間!のトルコの人々との触れ合い。ツアー同行中は一切なかった。 
 慇懃無礼に暗記文章だらだらとしゃべり続ける、ナザンという名の女性現地ガイドは、行く所行く所、まるでトルコは泥棒とスリばかりのように、Yとともに叫んでいた「注意してください、ココデ、スリ二アッタニホンジン、イッパイ!」  ツアーの人々は粛々とナザンが“指示する”おみやげ物屋だけに気を許し、ナザンが“命じる”くだらない安物みやげを嬉々として大量に買っていた。  確かにイスタンブールの観光名所近辺は最悪、さも親切そうに日本語操るやからには要注意だ。我々が出会った本当に親切な人々は、ユジュル以外誰一人日本語なんて話せない。少しの英語、ガイドブックのわずかなトルコ語ページで、コミニケーションしていたのだ。  それにしても、それだけ注意されながらも、何とフェリーだかどこかで、ツアーの中の3人もの人がカメラを盗られていたのを後に聞いた。わたし達は申し訳ないが大笑いしてしまった。 

 イスタンブールで早々悠々とチェックインしたホテルはさすがのヒルトン。ここに、あのツアーの人々30人と一緒に深夜どやどやと入るはめにならなくて、本当によかった。  それにしても、こんな酷いツアーがあることを知らなかったのは我々の世間知らずとしても、人間とは、知らない国だと、リーダーに対してああも従順になれるものなのか。極悪ツアーを組んだツアー会社への怒り以上に、このツアーに参加している人々に、命に関わることでさえ、何ひとつ自分の意見を言わないで、ただついて行くだけの人たちに、わたし達は苛立ちといきどおりを覚えていた。  彼らを見ていると、随分と前だがノーベル文学賞とった「蝿の王」という小説を思い出した。
 帰国日、空港へと向かうバスで、我々は3日ぶりにツアーに戻った。  夕べも快適に、ヒルトンの最上階、イスタンブールでも評判のレストランで、超美味しいトルコのシーフード料理堪能し、隣接するバーではバーテンダーに、ヒルトンオリジナルのイスタンブールで優勝したカクテルをご馳走になりと、ご機嫌気分覚めやらぬ私たちは元気いっぱいバスに乗り込んだ。 
 そこには、ぐったりと精も根も尽き果てたという感じのツアーの人々がいた。一刻も早く爆睡したいと言いたげに、ほとんどの人たちが座席で目を閉じている。  夕べもせっかくヒルトンに泊まりながら、わざわざ何十分もかかって、観光客用のベリーダンスレストランに行き、激不味い料理食べさせられてきたのだ。後に、唯一私たちの行動を正直に「羨ましい」と言った、一人参加の中年女性から聞いた話だ。ベリーダンスのダンサーも太ったおばさんが出てきてイマイチだったし、料理は勿論悲惨なものだった、おまけに席も団体用に分けられた離れた席だった、と。  私たちは、パムッカレのスパホテルにあったバーで、すでに、真珠のような綺麗な踊り子さんの素晴らしいべリーダンスを観ていた。その時、ツアーのほとんどの人々は、食事が終わって、無料で入れるというスパに、あたふたと入りにいっていた。スパ終了時間まで2〜30分しかない、というのに。  私たちは、脱いだり着たりをせっかちにするのも嫌だし、入ってすぐに追い出されるのも嫌だ。ゆっくりバーでお酒でも飲もうということにしたのだった。  とにかく感心したのは、無料なら何でもやる、の、ツアーの人たちのタフさだ。雪積もるほどの寒さの中、風吹きすさぶフェリー上でトルコアイスを食べた、という話を聞いた時には、娘ともども感心してしまった。トルコアイスのサービスはツアー行程に入っていて、無料なのだ。  あー、本当に離れてよかった。全く災い転じて福となす、だ。もしも雪が降らなくて、スムーズに(それでも何時間もかかって)カッパドキアに行ってたら、私たちだって、こんなツアーに入ったのが馬鹿だったと諦めて、ツアーと同行していただろう。そうだったら、トルコの魅力なんて何ひとつ解らなかった。料理も不味いし、二度とトルコなんて来たくない、と間違った感想持ったまま帰国していたに違いない。でも私たちはトルコの素敵さを知った。次ぎは季節のいい夏にまたトルコに来よう、と、バスの中で話しあっていた。  すると側の席の夫婦連れのだんなのほうが私たちに声をかけてきた「さすがにカッパドキアはよかったよ、絨毯も綺麗だったし。行けなくて残念だったね」  ガイドブックには、広大なカッパドキアを見るには3日間は滞在したい、と書いてあった。彼らは命からがら何時間もかけて、カッパに行き、現場にいたのは、正味1時間と少し、だったらしい。そんなタイトな行程にも関わらず、アンカラの前に、Yはしっかり絨毯屋に立ち寄る行程を飛ばしはしなかったのだ。そこでまたガイドのナザンに“命令”されて、いかばかりかのお土産買わされたのだろう。  それでも彼らは、「カッパも行けたし、絨毯屋まで見学できた、良かった良かった」と喜んでいるのだ!!ぐったり憔悴しきった顔で、だ。  ここがカッパドキア!さあ写真撮れ、とばかりに急かす、Yとナザン、せっせとシャッターを押し、そさくさとバスに戻るツアーの人々の恥ずかしい、気の毒な姿が目に浮かんだ。  「カッパドキアは良かった」って、あなた方が見たのはカッパのひとかけら、像の尻尾の先っぽ見ただけで、像って凄い大きな動物だったよ、と言ってるのと同じだ。  「そうですか、良かったですね、私たちはまたゆっくり、今度はカッパドキアで一泊出来る日程で来ます」と答えると、  「そちらも無事戻ってこられて良かったですね、」だと。  おいおい、無事に戻ってこられて良かったつうのはあんたたちのほうだろう、あの危険なガチガチに凍った雪道を、朝5時にたたきおこされたあなた方よりいち早く起きて、バス運転してた疲れきったドライバーの運転で、イチかバチかのガイドに曳かれ、アンカラで乗り遅れる不安もあったのに、よくも無事にイスタンブールに着いたものだ。ホント、ラッキーな人々は、あんたたちですよ。私たちが無事なのは当然。安心な交通自ら選んで、安心な旅をしてきた。全然別の意味で凄いラッキーでしたが、ね。  そう、わたし達はラッキーにもアクシデントのおかげで、ツアーを離れられたおかげで、トルコの素晴らしさを識ることができたのだ。娘は8人ものトルコの人たちとメールアドレスの交換をしていた。イスマイルや、アフメッドたちだ。  今度はゆっくり2週間休みとって、勿論ツアーなんかでなく、自分たちだけでトルコに来る。自分さえしっかりしていれば、(バカがひっかかる)悪いトルコ人の餌食になることなんてない。しっかりトルコの文化を把握して、団体でなく、個人で歩けば、トルコの人々は皆心底親切に手を貸してくれる。  帰国してからさっそく買ったトルコ情報本、数年トルコに住んだ著書はこう書いている。  トルコの人たちは、いつも旅人に親切にしてあげたくてうずうずしているのだ。何か助けてあげることはないか、と、てぐすねひいて待っている、そんな人々なのだ。  バスがもうすぐ空港に着くというその時、眠りこける皆を起こして、Yの挨拶が始まった。  Yは、感無量の表情で今回のツアーを振り返り、ナザンと二人、涙ながらに誉めあった。世界遺産のベルガマ遺跡、大きく「禁煙」と書かれているそのすぐ側でタバコを吸ったナザン、私が見かねて注意すると、「ガイドはいいのよ」と、タバコを消すどころか、わたしを睨みつけ、開き直った呆れた言い訳をした、最低のトルコ人ガイド、ナザン。そのやりとりを苦笑いしながらすぐ側で見ていたY、イチかバチか、で30人を危険な道に連れてったY。この二人がお互いを素晴らしいガイド、と誉めあっているのだ。マジ、気持ち悪い光景。  しかしもっと気持ち悪かったのは、そんな二人に拍手する、ツアーの人たちだった。そして、びっくり仰天した、次ぎのYの言葉。皆の拍手に気を良くしたのか、気が緩んだのか、口が滑ったのか。Yはこう言い放った。  「このツアーは、正直信じられないくらいタイトなきつい日程のツアーです。トルコは何度も来てますが、冬のトルコはわたしも初めてで、本当に今回危険もいっぱいありました。でも、誰一人怪我もなく、あの悪天候の中、無事カッパドキアにも行けて、本当にラッキーでした、一昨年、同じ道で、違う会社のツアーですが、大雨でバスが横転して、ツアー客が一人亡くなっています。そんな危険な道だったのに、わたし達はホント、ラッキーでした」  なに!!一人死んでる?!思わず娘と顔を見合わせた。ゾゥーと鳥肌がたった。一瞬、バスの中が、ほんの一瞬だが、さすがに、しん、となった。興奮状態のYはそんな微妙な空気も気づかずに続ける。「でも大変な旅行ほど、終わってみればいい思い出になるものです。何年かたって、このツアーを思い出すたびに、大変だったね、と笑って話せることでしょう」  わたし達はこのツアーを思い出すたびに、ゾッとすることだろう。ガイドが信じられないくらいきついツアー。ああ、本当に本当に離れてよかった。  それでも従順な人々は、Yのありがとうございました、の声に拍手している。  「そんな危険なのに、以前人一人死んでるのに、何故そんな道行ったんだ?もしかしたら我々のバスも横転したかもしれなかったんだぞ!」  と、怒る人など誰一人いない。  東京に戻って何人かの友人にこの話をしたら、みんなこう言っていた。それはそうだろう、誤解を恐れずに言うならば、安全だけど余計なお金を出すより、死ぬかもしれないけど無料のほうを選ぶ人々なのだ。だからこそ格安ツアーに参加するのだ。黙って就いて行けば、安く、色んな所に連れてってくれる、あれこれ言葉に苦労しなくても、激不味い料理であろうと3食食べさせてくれる。それでOKな人々なんだ。その国の人々と触れ合いたいとか、国を識りたいなんて微塵も思わない、ただ絵葉書の場所へ行って、写真を撮ってくる。観光はしても旅をする人たちじゃないんだよ、大体まあくさんがツアーに参加したこと自体が間違いだ、と。  やれやれ、空港に着いて、Yとナザンはまたぞろダメだしをやってくれた。  それまで、毎日バスの中で渡されていた、ペットボトルの水。寒いトルコ、延々のバス道中。そんなに水を飲めるわけない、皆律儀に1日1本もらってるから、空港では皆が皆1〜2本の新しいペットボトルを抱えていた。  「水は持って入れません、チェックする前に必ず全部飲むか捨ててください」  Yとナザンは皆のペットボトルを指して、しつっこいほど何度も注意していた。  娘も新しいペットボトルをわたしのと2本持っていた。捨てるのももったいないので、丁度お茶を飲んでいたカフェテリアのお兄さんにあげようと、声をかけた。するとそのお兄さんは、持って入ればいいよ、飛行機の中は喉が渇くよ、と言う。捨てろという指示があったことを話すと、「持ち込んでも大丈夫、僕を信じて」と。  それでもまだYとナザンの言葉がひっかかるので、セキュリティーで今度は係り員に娘は聞いた。勿論「ノープレブレム」  そうしてわたし達はペットボトルを持ってセキュリティーに並んだ。丁度後ろに並んだYが、わたし達の水を見て、自分のペットボトルを持ち上げた。これまでのこともあり、直接わたし達に注意するのが気が引けたのか、Yはわざとらしくわたし達に聞こえる声で言った  「いやだ、自分がお水を捨てるのを忘れてたわ、捨ててこなきゃ!」  娘が振り返って言った  「大丈夫ですよ、ここ、ペットボトルの持ち込みOKですよ」  Yの後ろに並んでいた同じツアーの女の子二人が叫んだ「えー、もったいない、わたし達2本とも捨ててきちゃった!」  Yはうろたえて「えー、そうなの、またわたしが嘘言ったみたいになっちゃった」  また嘘言った、の、また、は、Yの馬鹿正直さも表しているようで、これには苦笑するしかなかった。  「アメリカではダメだったのに」Yの言い訳にならない言い訳を聞いて「ここはアメリカじゃないですよ、トルコですよ」わたしは呆れて思わずYに言っていた。おまえは今はトルコツアーの添乗員なのだろう。トルコは何度も来ているんだろう?冬のトルコは新米にしても、だ。  それにしてもトルコの空港の人々は、何故日本人は何本ものペットボトルをいつも空港に捨てていくのだろう、と不思議に思っていたことだろう。エコ精神ゼロだ。ああ恥ずかしい。 
 そんなことも知らない、大手旅行会社の添乗員と、最後の最後までエラそうに、間違った指示を叫んでた現地ガイド。こういう人たちに命預けてたのだ。全くツアーのほうが、怖い。 

 ロシアで乗り換えて、後は成田目指すだけ、になったとき、またまた信じられないことをわたし達は目撃する。  格安ツアーならではのエアロフロートだが、機内食の味はそれほど悪くないね、と食事をしていた時だった。後ろに座っていた、ツアーメンバーの一人、それまで、どんな酷い目に合わされても何も言わず、危険な雪道さえ、「これも思い出」などと、ぬけぬけ言っていた人だった。     よほど温厚な人なんだな、と思っていた60代男二人連れの一人が、CA(キャビンアテンダント)の女性、それもロシア人CAじぁなく日本人CAに文句を言っているのだ。  曰く「昼食べたメニューと同じは、客に対して失礼だ」よくあるビーフか魚か、で同じチョイスをしたのだろう。こんなものこそ安いツアーだから仕方ない。  あんなむちゃな日程にも命危ない目にあっても何ひとつ文句言わないのに、機内食ごときに怒っている。トルコでの激不味メニューには、舌鼓うってた男が、美味しさの期待なんてこれっぽっちもすること事態が恥ずかしい、エコノミーの機内食に文句つけてるのだ。 
 そうなのだ、言葉も何も解らないトルコでは、ひたすら従順だが、もう成田が見えてきて、言葉も解る日本人CAには、地が出てこんなに傲慢になるのだ。ああ、何て嫌な人間だ。
 この親父にはロシア人のCAに対処させたほうがいいですよ、そしたら何も言えませんからって、日本人CAに教えてあげようか、と娘。  他の、ツアーの従順な人たちもひょっとしたら、地元のマーケットなんかには、くだらないクレームつける普段は文句いいの人たちなのかもしれない。  なのに海外では、ひたすら黙ってガイドについて行くのだ。その姿を今思いだすと、ある歌が重なった。市場に曳かれて行く子牛を歌った、あの歌。「ドナドナドナドーナ、儚い命」

 日本に戻って、トルコ大好き私と娘は、東京のトルコ料理のお店を探しまくった。そしてイチ押しのお店を見つけた。  外苑前の「ハレム」、味はもちろんのこと、カジュアル接待にも使える、グッドなサービスも○。曜日によってはベリーダンスも楽しめるし。皆さんも一度、世界三大料理と言われるトルコ料理を味わってみて下さい。ちなみに、あとの二大料理は、フランス料理と中国料理。 

 追伸
 エフェソスで、革製品のお店に案内された。 
 ヨーロッパの革製品のブランド物は全てトルコで縫製しているということで、けっこうお買い得だ。そこでデザイン気に入った2000ドルの革ジャンを買った。さっそくコンヤの街で着て、ホテルに戻って気がついた。1個ぼたんが取れて、ない。帰国日にYとナザンにそのことを話し、革のお店でもらった証明書も日本のまあくの住所もナザンに確認してもらい、すぐにぼたんを日本に送ると、Yとナザンは約束した。2月21日にのことだ。 
 今3月も終わり、やっとこさ3日前、ぼたんが送られてきたが、全く全然違うぼたん。それも見事に真っ二つに割れている。その旨旅行会社に話すと、即調べて電話する、とのことだったが、未だに電話はかかってこない。  まあ、もう革ジャン着る季節も過ぎちゃったけどね。

「禅譲」と「晩節を汚す」(ビューティービジネス誌より)

「禅譲」と「晩節を汚す」

「禅譲」と言う言葉は、まだまだ自分に力はあるが、あえてその高い地位を後進に譲る、という意味だそうだ。反語ではないが、その逆の場合に用いるのに「晩節を汚す」という言葉がある。どちらの言葉も、一人の人に教えてもらった。“引き際の難しさ”である。


まあくの仕事柄、宝塚歌劇団のOGの方々と、けっこう親しくさせていただいている。みんな、何々組トップスターを極めた人たちだ。彼女たちに、よく“卒業(退団)を決めた時”の話を聞いたものだ。

やはりそれぞれに悩んでいる。トップスター、絶頂期である。ファンには、次ぎは?次ぎは?と期待される。スポットは自分だけに当たり、喝采が衰えることはない。が、その絶頂期に彼女たちは、“引き際”を考える。

潔よすぎるんじゃない?もう1年、せめてもう1本、主演作品残してからでもよかったんじゃない?凡人のまあくなどは、そんな野暮な質問したりしてしまうが、見事に退団したトップスターほど、何の未練の欠片も残していない。

その後の活躍も鮮やかで、あえて「禅譲」したことにより、いよいよ“地位”は向上する。

反対に、はるか昔昔のトップスターで、「晩節を汚した」方も、いたらしい。宝塚ファン関係から聞いた話しだが、その時はファンでさえ、「あなたのことは好きだけど、もうトップはいいんじゃないの?次ぎの若いカッコいい二番手に、譲ってあげて!」との意見が飛び交ったらしい。

執着したい気持ちも、ファンなら内容わかってるだけに理解できる。だからこそ、そんな引退コール噂を聴くのは、ファン自身が一番辛いだろう。

今、晩節を汚しまくっているのは政治家、官僚たちだ。食品偽装の社長たちがそれに続く。


昨日(10月27日)舞台衣装デザイナーのちかちゃんに誘われて「ミュージカル〜THE TAP GUY」を観に行った。おりしも台風東京直撃。雨、突風吹きすさぶ中、律儀に「お約束」守るべく、エイヤ!っと出かけた。余談だが、台風ぐらいでは演劇関係絶対中止になったりしない。交通関係で来られない人は、それはもう本人の運の悪さと、チケット無駄になるのも諦めるしかない、という次第なのだ。

それでも会場(銀座博品館劇場)は満員、チケットはソールドアウトの噂どうり、台風なにものぞ、の人々で溢れている。

脚本・演出・振り付け・主演を一手に担うのは、タップダンスのカリスマと名高い玉野和紀さん。共演はもう一人のタップ界の人気者、HIDEBOHさん(たけしさんの映画「座頭市」でタップ担当)。

この二人が一役で、Mr Bojanglesとよばれた伝説のタップダンサーBill Robnsonを演じる。そんな構成も効いてるし、もう一人の主役、“語り部”でもあるマネージャー役の小堺一機さんもさすがの好演。アンサンブル参加のとしくん(D☆Dメンバー)もよく踊ってたし。

で、一昨日のまあくプロデュース「YEBISU亭」打ち上げの二日酔いにも、台風にも負けないで、来てよかった、の舞台だった。

“68年、ジェリー・ジェフ・ウォーカーによって歌われ、その後サミー・ディビスJrによって大ヒットした「Mr Bojangles」という余りにも有名なこの名曲を、ショービジネスの人々はモチーフとして繁雑にとりあげ、これまでも幾度もステージで歌われ踊られてきた。 

だから、観る者全ての胸の中に、「Mr Bojangles」の自分なりのイメージがあるから、創るほうもプレッシャーだったろう。でも玉野さんは同じタップダンサーとして真摯な目線で、中々の素晴らしい舞台に仕上げられていた。

にしてもである、この「Mr〜」がこれほど、歌い継がれ、踊り継がれ、演じ継がれているのは、彼の孤独な最期への哀切、に他ならない。他人に与えてばかりいて、酒とギャンブルに溺れ、女性に正直だった、一人の天才ダンサー、あるいは天才ボードビリアン、あるいは天才ジャズメン。この歌はBillを彷彿とさせるが、彼そのものがモデルではない。フィクションだ。

ショービジネスの世界の、どこかで邂逅した観る者にとっての“あの男”なのだ。決して自分は絶対なり得ることの出来ない、破天荒で魅力的でとんでもない才能を持つ破滅的な彼、が、いつの世もこの名曲に重なる。

こういう人生こそ実は「晩節を汚す」、の間逆なのかもしれない。「執着」というものが一切ないもの。恐れず「破滅」という名の「真実」(最期)に突き進んでしまうのだ。

昨今の晩節を汚す人たちは、「執着」の塊だ。お金に、ポジションに、名声に、健康に。


いくらお金があっても、そのお金一緒に使う人が、好きでもない人だったら、どうする?

帰りにちかちゃんと焼肉屋さんで食事しながら、そんな話しになった。ちかちゃんの友人の実業家で、突然入院したために、離婚話しが棚上げになった夫婦がいる。自分が死にそうなのに、それ(離婚)どころじゃないんだよ、と、友人は語ったそうだが、ちかちゃんの頭の中は???が飛び交ったそうだ。退院してから時間かけて会社経営の分与とか諸々の事柄をきちんとしなければ、世間体もあるし、とか何とか、らしい。

離婚したい奥さんに看病されて、元気になれるのかな?そういう状況で治療してて、効果とかでるのかな?

このちかちゃんの話しは、晩節を汚してまで執着することって、何なんだろう?に重なる。命を放っておいてまで守りたい世間体って何なんだろう?所謂、「本末転倒」って、感じなのだ。


私たちもそろそろ「禅譲」したいね、と笑ったが、うちらのポジションなんてしんどいだけで何のステイタスもないから、譲られたほうも嫌がるだけだ、と二人。

結局、来月と来年のスケジュール確認し合って、理想の引き際は夢のまた夢、と納得したことでした。


生活習慣病対策とは?(ビューティービジネス誌より)

 「生活習慣病対策とは?」

 日本人の死因の三分の一は、“がん”が原因
だと言う。これからは、二人に一人が、がんに
なる可能性もあるらしい。夫婦二人いればどち
らかが、がん、の比率なんて、すぐには信じら
れないが、3年前からシドニー住まいだった友
人も、一昨年、甲状腺のがんだと宣告された。
彼女はシドニーで治療を受け、何回かの入退院
繰り返して、回復した。そして今年の4月、元
気に日本に戻って来て、今ではまあくの仕事を
手伝ってくれている。
 それまでは“がん”という言葉や文字を見る
だけで、恐怖心がおき、あえて避けていた病名
だった。しかし近年身近な人々の闘病の話し聞
いたり、日々、テレビや新聞で有名人ががんを
告白したり、復帰したり、の記事みるにつけ、
最近は、食べ物くらいは自分たちも気をつけよ
う、と、がんについても話すようになっていた
。オリーブオイルたっぷりのイタリアン食べな
がら、よく自然食の話しをしていた。
 そんな、一ヶ月と2週間前、TBSの筑紫哲
也さんから「審査結果が出た」と、電話があっ
た。その4〜5日前から検査入院することは、
聞いていた。それ以前から咳が出る、というこ
とも知っていた。にもかかわらず(申し訳なく
も)、6月25日初日の、まあくプロデュース
のショー「ムーングレード」にコメントいただ
いたりしていたので、そのやりとりの中、そう
いう状況を聞いていたのだった。
 「どうでした?」一抹の不安を感じながらも、
それまでの筑紫さんの“運の強さ”も識ってい
たから、きっと、過労とか、だろう。
 ところが、いやにきっぱりした声で「悪いニ
ュースです。がんでした」決して明るい声では
ないが、絶望的でもない声だった。おかげでこ
ちらも、狼狽することもなく、すぐに、それで
?と、今後の治療やスケジュールを聞き、どこ
がどういう状態なのかを詳しく話を聞くことが
出来た。すると、むこうも、もう病気は他人事
のように、一般論を話し出した。「大体肺がん
なんて、僕らの年代は3人にひとりは、やって
るんだよ」などと、序序にいつもの“トーク”
口調になっている。
 その3日後の月曜日、「ニュース23」で、
筑紫さんは初期の肺がんであることを自ら発表
した。明日から治療に専念し、元気になってか
えってきます、と、すでに元気そうな笑顔で、
バイバイとフレームアウト。残る女性キャスタ
ーも若手男性キャスターもニコニコと、次なる
話題、松坂選手の活躍ぶりを、伝えている。
 成る程、筑紫さんらしい休養宣言である。
 番組ではっきり言う、と電話で聞いていたが
、スタジオの雰囲気心配していたが、きっとテ
レビ見た大勢の人々は、全員、筑紫さんの一日
も早い番組復帰を祈ってくれるだろう。
 筑紫さんにはこれまでにもお仕事色々お世話
になったり、クライアントであるコーセーの小
林会長ともお知り合いだったり、なので、ま
あくも他人事ではない。それから、時間ある限
りインターネットにかじりついて、がんサイト
を見まくった。
 そして、本当に溢れるほどのがん治療の情報に
、呆然、とすることになる。まさに玉石混合、
その上“玉”はその中でも非常に少ない。本も
、有名どころを取り寄せ、何冊か読んだ。が、
これまた、まちまち、なのだ。
 しかし、遅まきながらこれだけは、はっきり
解ったことだが、がんは、生活習慣病であり、
要因のひとつは、タバコや食生活であるが、一
番の原因は「ストレス」、これにつきる。シド
ニーの友人も、原因は何年前のあの頃の状況、
と断言していた。主治医に指摘された年と、月
まで、全く一致したらしい。
 日本のがん医療の問題点も色々勉強していく
につけ、つくづく、普段の生活がいかにモノ言
うか、がわかる。
 よく、がんは遺伝、といわれるが、これも、
がんが遺伝しているのではなく、親子の性格が
似ているゆえの遺伝的要因、の説もある。 
 くよくよしない、ノーテンキ、鈍感力のある
人、彼らは、まず基本的に”抗癌体質”なのだ。
普通の人は、「再検査」と言われたら、不安に
なる。心配性の人など、「疑いがある」なんて
医者に言われただけで、検査結果が出る間に過
度のストレスがかかって、何でもなくても胃潰
瘍になってしまう人もいるらしい。
 過度のストレス同じところにかかる、という
のが最悪で、同じストレスでも種類が分散して
いれば、問題はないらしい。例えば、彼氏のこ
とで、実に深刻な悩みがあるとする、しかし会
社で自分の新しい企画が取り上げられ、急に多
忙になった。その仕事もストレスに違いないが、
そのストレスが、深刻な彼とのストレスを緩和
してくれる。
 ストレスは、ないにこしたことないが、何に
もない、これまたストレス。と言うから、いい
ストレスが少し、の日々を送ればいい。 
 それでもいやなストレスがあれば、そんな時
はストレスの反対、気持ちよいこと、を意識し
てしてやればいい。温泉、岩盤浴、森林浴、E
TC.
 色々あるが、やっぱり、気持ちのいい人、好
きな人と一緒にいられる、というのが、ベスト
だろう。
 実際、こんな実験をネットで見た。すこぶる
関係の良い夫婦を18組集め、何分だか、奥さ
んの手を夫が握る。次ぎは赤の他人の男性が手
を握る。この二つを比べると、夫の手のほうが
格段にいい数値がアップしたのだそうだ。
 関係の悪い夫婦の場合はどうなるのか、想像
するだに恐ろしい。生活習慣病は、食生活や嗜
好品の改善だけでなく、もっと身近なところを
”改善”しなくてはならないのだった。
 そういえば、今日6月23日は筑紫さんのお
誕生日。いつもは忙しくて機会なくても、今日
ならきっとご家族そろってのお祝いになってい
るだろう。病気もたまにはいいか、なんて、案
外くつろいでいらっしゃるかもしれない。
 多分復帰も近いことだろう。


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