新米ガイドと行く、危険がいっぱい命知らずのトルコ・ドナドナツアー     (ビューティービジネス誌より)

*この原稿はビューティービジネスに連載している、まあくのエッセイに大幅に加筆して、ブログにのせました。かなり長いです、でも今後ツアーで旅行しようとしている多くの皆さんにぜひ知ってほしいツアーのひとつの実態を書いたものなので、ぜひ最後まで読んで下さい。 
  新米ガイドと行く、危険がいっぱい 
        命知らずのトルコ・ドナドナツアー  
 雪はますます激しさを増し、「この先コンヤへ進む道が封鎖されている状況」と、添乗員のY(40代女性)が心底申し訳なさそうな顔で言う。そしてバスは山道のガススタンドで止まった。
 1時間ほど前、先行くツアーから情報をもらえるから私たちはラッキー、とYは満面の笑顔で言った。その時すでにこの“封鎖情報”はもらっていたわけで、それでも同じ道に突っ込んでいくのだから、何が“ラッキー”なのか、意味わからない。
  「天気のことだから仕方ない」この言葉をこれまで何十回もお題目のごとくYは唱えていた。確かに天気次第、の場合も多々あるだろう。しかし、100%雪になる、の予想がされているのに、万が一の晴天を期待して、ツアーの行程だからと、ただ出発を早めるだけ(朝5時モーニングコール!)、ただ天気回復を待つだけ(バスん中で何時間も!)、何のフォロー(もし、この場合はこうする、という段取り等)も全くなしに険しい山道入るのって、これって「仕方ない」レベルかしらん?
  すでに成田からロシア経由してイスタンブールに到着してから3日間。トロイ、ベルガマ、エフェソス、パムッカレ、4つの遺跡を巡った行程で、ツアーの非人道的スケジュールを思い知っていた我々(まあくと次女)だったが、ツアーに入った自分たちが馬鹿だったと、諦めて従順に付き合っていたのだがー。
 勿論我々に反省も、ある。以前より一度行きたいと思っていたトルコだった。急遽8日間のスケジュールが取れた。エッセイ連載してるダンス雑誌が、グラビア4ページ、トルコ音楽とダンスも含めた旅行記掲っける、の、お約束もとんとんとまとまった。これまで、パンダと触れ合いツアー(ツアーメンバーはまあく入れて4人)で中国臥龍に行った以外は、自分でエアーとホテルを取って個人旅行しかしたことがないが、トルコは危険情報発出中。テロに巻き込まれないよう云々の情報は、オリジナルのスケジュールでインドを旅したり、スペイン一人旅したまあくにとっても、オーストラリアに8ヶ月間余り暮らした次女にとってもちょいと怖い。くれぐれも団体での行動を、などと書かれているのを見て、ついひよってしまったのだ。とりあえず安全なツアーで行こう、と。
 偶然、出発と帰国日が、ぴったしこちらの都合の良い日にハマったツアー案内を見つけ、電話したら、締め切り日直前で、残る座席は2名しかない、とのこと。詳しい内容確かめず、イスタンブールと興味深い遺跡の数々まで行ける、ということだけで即決してしまった。ほんの少しの不安は安すぎる料金だったが、オフシーズン値段なのだろう、ぐらいに考えて、安いツアーがどんなにどんなに恐ろしいものか、その時は全くの世間知らずなチョイスをしてしまったのだった。
 スケジュールが取れるの解って、申し込み電話までわずか2〜3日、出発はその2週間後、その間にも新作ライヴ制作などなど、抱えていた仕事トルコ行きの為にせっせとこなしていたから、他の個人旅の時のように、地理的関係を含め現地のこと、全く調べていなかった、いや、ツアーだから、という、“安心感”、タカくくってた部分もあったのだ。猛反省。    そして出発日の前々日の2月12日。夜9時過ぎに添乗員のYから電話があった。Yはトルコ行きに同行する旨の挨拶をし、了承して欲しい、とこのようなことを言った。
 曰く、今年になってコンヤからカッパドキアへの道が雪で封鎖され、予定外にコンヤに泊まることがあった。それは天候のせいなので、ホテル代はお客様の負担であるし、翌日も雪がやまないとカッパドキアに行けないこともある、この事は(ゴマ粒文字で)約款にも書いてある。
 そこで初めてまあくはトルコにも雪が降る、ということを知る。それも、最近も最近、1月下旬に2回。ツアー回数でいうと、1月は50%以上の確立で雪でコンヤに泊まっている。これって、1月2月のツアーはカッパドキアを行程に入れること自体が間違いじゃないか?でもカッパドキアは世界的にも有名な遺跡、これが一番のウリ、でもあるのだ。何てったって「天候だから仕方ない」の大義名分もあるのだし。
 まあく的にはそれなら申し込む時にそんなリスクは伝えるべき、と当然の怒りをYに伝えた。だが今更のキャンセルは料金だけでなく、8日間のスケジュールが惜しい。コンヤのホテル支払いよりカッパに行ける行けないより、その旅行会社の姿勢が嫌で、すでにツアーへ参加することへの後悔が芽生えていた。
 それもこれも安全のため、エイヤ!、と来てみたが、安全どころか、ツアーのほうが、次ぎから次ぎと、とんでもない命知らずなことをやってのけてくれるのだった。
  結局、コンヤまでのろのろ運転で5時間かかり(予定では2時間)、それまでの5〜6時間あわせると10時間余りバス乗りっぱなし。へとへとでホテルへ着いた。ガススタンドからコンヤへの道のりで、10台を超える車がスリップして転びまくってるのも目撃した。まさか、明日、またぞろより山深いカッパ道はさすがに行かないだろう、と思いきや、ぐだぐだの夕食の後、Yは決死の形相で言い放った 
 「色々ご意見はあると思います。途中、雪道でまた立ち往生するかも知れません、十何時間バスに閉じ込められるかもしれません、でもイチかバチかです!我々は、明日カッパドキアを目指します!」  馬鹿は死ぬまで治らない、という言葉が頭に浮かぶ。私と娘は速攻ホテルのフロントに行き、翌日の夜9時発、イスタンブール行きの快適1等個室寝台車を取ってもらった。明日は1日ゆっくりこの興味深いコンヤの町も楽しめるのだ。
 ツアーの連中は、“イチかバチか”で、カッパドキアへ向かい、その後アンカラへ行き、(間にあえば)深夜アンカラ発のイスタンブール行きの寝台列車に乗る、という行程なのだ.。
 我々もツアーに参加した以上きつい行程も我慢するが、命かけてまでも遺跡を見る気はない。Yはお二人のお気持ちは判ります、と言いつつ、この後一切の責任は負わない旨の示談書にサインさせた。
 そうまでして何故行くのか、彼ら(ツアーの人々)だって危険は感じているはずだ、とYに問いただした。
 「ツアーの人たちは、あなた方のように一人で何も出来ないのです」  酷い話だ、だからって、早い話が旅行会社(そう、これ超有名大手旅行会社です)がNG代金払い戻ししたくないからって、むりくりの危険な行程進めていいものなのか。行くだけ行ったら、そこでどうなろうと、後は天候の為、の言い訳が通る“約款”なのだ。 

 そして我々は、彼らと離れて初めてトルコという国と人々の素晴らしさを識った。
  雪道、転びそうになるのを手をつないでCD屋さんやコンヤ駅まで一緒してくれ、お茶までご馳走してくれたイスマイルと、そのかわいい奥さん(手をつないだのはもち奥さんと)。彼らとは拙い英語で、トルコの宗教、とも言えるイスラム教の世界的なイメージの話しまでした。  自分のメルアドでチケット予約など、ホテルマンの役割以上に気使ってくれたイブラハム。 モスクの前の坂道を、そりで遊んでいた10人ほどの子供たち。その坂道を転びそうになって上る私に、子供たち皆が手を貸してくれた。ふざけて雪を投げ合ったひと時、とびきりのかわいい笑顔と一緒に私と娘も子供になって歓声をあげた。
 そのモスクの前に居た3人のおじさん(多分タクシーの運転手さんで休憩中、って感じ)は、モスクの扉を開けてくれて、中を案内してくれた。帰りは、また坂道滑りそうになる私を、坂の下までエスコートしてくれたのだった。 
 その後、トイレ借りに入ったコンヤインフォーメイションのスタッフ、ユジュルは、驚異の日本語でメヴラーナ博物館のガイドまでやってくれ、最高のお店を紹介してくれた。バリッとスーツ着たハンサム5人が出迎えてくれた一軒屋のレストラン、味もサービスも最高のコンヤ料理フルコース、その上嘘みたいに安い(二人で20トルコリラ・約2000円!)これもユジュルの手渡してくれた“宜しくメモ”のおかげか。  ちなみにユジュルは、近く「地球の歩きかた」で紹介されるとか。ぜひ見てみて下さい。Mr.ビーンのローアン・アトキン似(笑)の好青年だ。
 それにしてもそれまでのツアーのご飯は、一体何だったんだろう。ツアーの人々は、あんな激不味い団体料理がトルコの料理だと思って帰国するのだ、かわいそうだがそれも自業自得。それより、そんなモノしか食べていないくせにトルコ料理のことを云々されたらトルコに対して失礼だ、との思いで腹が立つ。 
 そして、コンヤを後に、乗った寝台列車の快適ったらない。食堂車で隣合ったアフメッドは、コンヤの駅で時間の遅れを教えてくれた親切運転手さん、仕事終わりとかでビールをご馳走になる。 
 イスタンブールからフェリーに乗り換え、アジアサイドからボスフォラス海峡渡り、ヨーロッパサイドに到着間際、安岡力也風押し出し強そうな男性と、その友人風が我々の重たいデカ荷物二つを持ってくれると言う。彼らは先ほど私たちが途中間違えて下船しそうになったのを止めてくれ、親切に正解教えてくれた二人だ。タクシー乗り場まで送ってもらい、運転手に「ぼるんじゃないぞ」的おどしまで効かせてくれた。そしてイスタンブールで困ったことがあればいつでも電話してと、メモを娘に渡すと、さっさとタクシーのドアを閉め、さっそうと去って行った。彼の名はマフメッド。
  バザールで、かわいいブレスレットを娘にプレゼントしてくれ、いろんな情報教えてくれたのは、お土産物屋さんのエルカン。  バザール抜けた凄い雑踏の中、不安げに雪降る歩道で手をあげてると、ジェラール・フィリップの瞳をした男性が、タクシーを止めてくれ、これまた「正確に行くように」と運転手に釘さしてくれた。彼の名は、残念ながら聞いてない。
 他にも色々、小さな親切いっぱいいっぱい受けた。これが、ツアー離れていた2日間!のトルコの人々との触れ合い。ツアー同行中は一切なかった。 
 慇懃無礼に暗記文章だらだらとしゃべり続ける、ナザンという名の女性現地ガイドは、行く所行く所、まるでトルコは泥棒とスリばかりのように、Yとともに叫んでいた「注意してください、ココデ、スリ二アッタニホンジン、イッパイ!」  ツアーの人々は粛々とナザンが“指示する”おみやげ物屋だけに気を許し、ナザンが“命じる”くだらない安物みやげを嬉々として大量に買っていた。  確かにイスタンブールの観光名所近辺は最悪、さも親切そうに日本語操るやからには要注意だ。我々が出会った本当に親切な人々は、ユジュル以外誰一人日本語なんて話せない。少しの英語、ガイドブックのわずかなトルコ語ページで、コミニケーションしていたのだ。  それにしても、それだけ注意されながらも、何とフェリーだかどこかで、ツアーの中の3人もの人がカメラを盗られていたのを後に聞いた。わたし達は申し訳ないが大笑いしてしまった。 

 イスタンブールで早々悠々とチェックインしたホテルはさすがのヒルトン。ここに、あのツアーの人々30人と一緒に深夜どやどやと入るはめにならなくて、本当によかった。  それにしても、こんな酷いツアーがあることを知らなかったのは我々の世間知らずとしても、人間とは、知らない国だと、リーダーに対してああも従順になれるものなのか。極悪ツアーを組んだツアー会社への怒り以上に、このツアーに参加している人々に、命に関わることでさえ、何ひとつ自分の意見を言わないで、ただついて行くだけの人たちに、わたし達は苛立ちといきどおりを覚えていた。  彼らを見ていると、随分と前だがノーベル文学賞とった「蝿の王」という小説を思い出した。
 帰国日、空港へと向かうバスで、我々は3日ぶりにツアーに戻った。  夕べも快適に、ヒルトンの最上階、イスタンブールでも評判のレストランで、超美味しいトルコのシーフード料理堪能し、隣接するバーではバーテンダーに、ヒルトンオリジナルのイスタンブールで優勝したカクテルをご馳走になりと、ご機嫌気分覚めやらぬ私たちは元気いっぱいバスに乗り込んだ。 
 そこには、ぐったりと精も根も尽き果てたという感じのツアーの人々がいた。一刻も早く爆睡したいと言いたげに、ほとんどの人たちが座席で目を閉じている。  夕べもせっかくヒルトンに泊まりながら、わざわざ何十分もかかって、観光客用のベリーダンスレストランに行き、激不味い料理食べさせられてきたのだ。後に、唯一私たちの行動を正直に「羨ましい」と言った、一人参加の中年女性から聞いた話だ。ベリーダンスのダンサーも太ったおばさんが出てきてイマイチだったし、料理は勿論悲惨なものだった、おまけに席も団体用に分けられた離れた席だった、と。  私たちは、パムッカレのスパホテルにあったバーで、すでに、真珠のような綺麗な踊り子さんの素晴らしいべリーダンスを観ていた。その時、ツアーのほとんどの人々は、食事が終わって、無料で入れるというスパに、あたふたと入りにいっていた。スパ終了時間まで2〜30分しかない、というのに。  私たちは、脱いだり着たりをせっかちにするのも嫌だし、入ってすぐに追い出されるのも嫌だ。ゆっくりバーでお酒でも飲もうということにしたのだった。  とにかく感心したのは、無料なら何でもやる、の、ツアーの人たちのタフさだ。雪積もるほどの寒さの中、風吹きすさぶフェリー上でトルコアイスを食べた、という話を聞いた時には、娘ともども感心してしまった。トルコアイスのサービスはツアー行程に入っていて、無料なのだ。  あー、本当に離れてよかった。全く災い転じて福となす、だ。もしも雪が降らなくて、スムーズに(それでも何時間もかかって)カッパドキアに行ってたら、私たちだって、こんなツアーに入ったのが馬鹿だったと諦めて、ツアーと同行していただろう。そうだったら、トルコの魅力なんて何ひとつ解らなかった。料理も不味いし、二度とトルコなんて来たくない、と間違った感想持ったまま帰国していたに違いない。でも私たちはトルコの素敵さを知った。次ぎは季節のいい夏にまたトルコに来よう、と、バスの中で話しあっていた。  すると側の席の夫婦連れのだんなのほうが私たちに声をかけてきた「さすがにカッパドキアはよかったよ、絨毯も綺麗だったし。行けなくて残念だったね」  ガイドブックには、広大なカッパドキアを見るには3日間は滞在したい、と書いてあった。彼らは命からがら何時間もかけて、カッパに行き、現場にいたのは、正味1時間と少し、だったらしい。そんなタイトな行程にも関わらず、アンカラの前に、Yはしっかり絨毯屋に立ち寄る行程を飛ばしはしなかったのだ。そこでまたガイドのナザンに“命令”されて、いかばかりかのお土産買わされたのだろう。  それでも彼らは、「カッパも行けたし、絨毯屋まで見学できた、良かった良かった」と喜んでいるのだ!!ぐったり憔悴しきった顔で、だ。  ここがカッパドキア!さあ写真撮れ、とばかりに急かす、Yとナザン、せっせとシャッターを押し、そさくさとバスに戻るツアーの人々の恥ずかしい、気の毒な姿が目に浮かんだ。  「カッパドキアは良かった」って、あなた方が見たのはカッパのひとかけら、像の尻尾の先っぽ見ただけで、像って凄い大きな動物だったよ、と言ってるのと同じだ。  「そうですか、良かったですね、私たちはまたゆっくり、今度はカッパドキアで一泊出来る日程で来ます」と答えると、  「そちらも無事戻ってこられて良かったですね、」だと。  おいおい、無事に戻ってこられて良かったつうのはあんたたちのほうだろう、あの危険なガチガチに凍った雪道を、朝5時にたたきおこされたあなた方よりいち早く起きて、バス運転してた疲れきったドライバーの運転で、イチかバチかのガイドに曳かれ、アンカラで乗り遅れる不安もあったのに、よくも無事にイスタンブールに着いたものだ。ホント、ラッキーな人々は、あんたたちですよ。私たちが無事なのは当然。安心な交通自ら選んで、安心な旅をしてきた。全然別の意味で凄いラッキーでしたが、ね。  そう、わたし達はラッキーにもアクシデントのおかげで、ツアーを離れられたおかげで、トルコの素晴らしさを識ることができたのだ。娘は8人ものトルコの人たちとメールアドレスの交換をしていた。イスマイルや、アフメッドたちだ。  今度はゆっくり2週間休みとって、勿論ツアーなんかでなく、自分たちだけでトルコに来る。自分さえしっかりしていれば、(バカがひっかかる)悪いトルコ人の餌食になることなんてない。しっかりトルコの文化を把握して、団体でなく、個人で歩けば、トルコの人々は皆心底親切に手を貸してくれる。  帰国してからさっそく買ったトルコ情報本、数年トルコに住んだ著書はこう書いている。  トルコの人たちは、いつも旅人に親切にしてあげたくてうずうずしているのだ。何か助けてあげることはないか、と、てぐすねひいて待っている、そんな人々なのだ。  バスがもうすぐ空港に着くというその時、眠りこける皆を起こして、Yの挨拶が始まった。  Yは、感無量の表情で今回のツアーを振り返り、ナザンと二人、涙ながらに誉めあった。世界遺産のベルガマ遺跡、大きく「禁煙」と書かれているそのすぐ側でタバコを吸ったナザン、私が見かねて注意すると、「ガイドはいいのよ」と、タバコを消すどころか、わたしを睨みつけ、開き直った呆れた言い訳をした、最低のトルコ人ガイド、ナザン。そのやりとりを苦笑いしながらすぐ側で見ていたY、イチかバチか、で30人を危険な道に連れてったY。この二人がお互いを素晴らしいガイド、と誉めあっているのだ。マジ、気持ち悪い光景。  しかしもっと気持ち悪かったのは、そんな二人に拍手する、ツアーの人たちだった。そして、びっくり仰天した、次ぎのYの言葉。皆の拍手に気を良くしたのか、気が緩んだのか、口が滑ったのか。Yはこう言い放った。  「このツアーは、正直信じられないくらいタイトなきつい日程のツアーです。トルコは何度も来てますが、冬のトルコはわたしも初めてで、本当に今回危険もいっぱいありました。でも、誰一人怪我もなく、あの悪天候の中、無事カッパドキアにも行けて、本当にラッキーでした、一昨年、同じ道で、違う会社のツアーですが、大雨でバスが横転して、ツアー客が一人亡くなっています。そんな危険な道だったのに、わたし達はホント、ラッキーでした」  なに!!一人死んでる?!思わず娘と顔を見合わせた。ゾゥーと鳥肌がたった。一瞬、バスの中が、ほんの一瞬だが、さすがに、しん、となった。興奮状態のYはそんな微妙な空気も気づかずに続ける。「でも大変な旅行ほど、終わってみればいい思い出になるものです。何年かたって、このツアーを思い出すたびに、大変だったね、と笑って話せることでしょう」  わたし達はこのツアーを思い出すたびに、ゾッとすることだろう。ガイドが信じられないくらいきついツアー。ああ、本当に本当に離れてよかった。  それでも従順な人々は、Yのありがとうございました、の声に拍手している。  「そんな危険なのに、以前人一人死んでるのに、何故そんな道行ったんだ?もしかしたら我々のバスも横転したかもしれなかったんだぞ!」  と、怒る人など誰一人いない。  東京に戻って何人かの友人にこの話をしたら、みんなこう言っていた。それはそうだろう、誤解を恐れずに言うならば、安全だけど余計なお金を出すより、死ぬかもしれないけど無料のほうを選ぶ人々なのだ。だからこそ格安ツアーに参加するのだ。黙って就いて行けば、安く、色んな所に連れてってくれる、あれこれ言葉に苦労しなくても、激不味い料理であろうと3食食べさせてくれる。それでOKな人々なんだ。その国の人々と触れ合いたいとか、国を識りたいなんて微塵も思わない、ただ絵葉書の場所へ行って、写真を撮ってくる。観光はしても旅をする人たちじゃないんだよ、大体まあくさんがツアーに参加したこと自体が間違いだ、と。  やれやれ、空港に着いて、Yとナザンはまたぞろダメだしをやってくれた。  それまで、毎日バスの中で渡されていた、ペットボトルの水。寒いトルコ、延々のバス道中。そんなに水を飲めるわけない、皆律儀に1日1本もらってるから、空港では皆が皆1〜2本の新しいペットボトルを抱えていた。  「水は持って入れません、チェックする前に必ず全部飲むか捨ててください」  Yとナザンは皆のペットボトルを指して、しつっこいほど何度も注意していた。  娘も新しいペットボトルをわたしのと2本持っていた。捨てるのももったいないので、丁度お茶を飲んでいたカフェテリアのお兄さんにあげようと、声をかけた。するとそのお兄さんは、持って入ればいいよ、飛行機の中は喉が渇くよ、と言う。捨てろという指示があったことを話すと、「持ち込んでも大丈夫、僕を信じて」と。  それでもまだYとナザンの言葉がひっかかるので、セキュリティーで今度は係り員に娘は聞いた。勿論「ノープレブレム」  そうしてわたし達はペットボトルを持ってセキュリティーに並んだ。丁度後ろに並んだYが、わたし達の水を見て、自分のペットボトルを持ち上げた。これまでのこともあり、直接わたし達に注意するのが気が引けたのか、Yはわざとらしくわたし達に聞こえる声で言った  「いやだ、自分がお水を捨てるのを忘れてたわ、捨ててこなきゃ!」  娘が振り返って言った  「大丈夫ですよ、ここ、ペットボトルの持ち込みOKですよ」  Yの後ろに並んでいた同じツアーの女の子二人が叫んだ「えー、もったいない、わたし達2本とも捨ててきちゃった!」  Yはうろたえて「えー、そうなの、またわたしが嘘言ったみたいになっちゃった」  また嘘言った、の、また、は、Yの馬鹿正直さも表しているようで、これには苦笑するしかなかった。  「アメリカではダメだったのに」Yの言い訳にならない言い訳を聞いて「ここはアメリカじゃないですよ、トルコですよ」わたしは呆れて思わずYに言っていた。おまえは今はトルコツアーの添乗員なのだろう。トルコは何度も来ているんだろう?冬のトルコは新米にしても、だ。  それにしてもトルコの空港の人々は、何故日本人は何本ものペットボトルをいつも空港に捨てていくのだろう、と不思議に思っていたことだろう。エコ精神ゼロだ。ああ恥ずかしい。 
 そんなことも知らない、大手旅行会社の添乗員と、最後の最後までエラそうに、間違った指示を叫んでた現地ガイド。こういう人たちに命預けてたのだ。全くツアーのほうが、怖い。 

 ロシアで乗り換えて、後は成田目指すだけ、になったとき、またまた信じられないことをわたし達は目撃する。  格安ツアーならではのエアロフロートだが、機内食の味はそれほど悪くないね、と食事をしていた時だった。後ろに座っていた、ツアーメンバーの一人、それまで、どんな酷い目に合わされても何も言わず、危険な雪道さえ、「これも思い出」などと、ぬけぬけ言っていた人だった。     よほど温厚な人なんだな、と思っていた60代男二人連れの一人が、CA(キャビンアテンダント)の女性、それもロシア人CAじぁなく日本人CAに文句を言っているのだ。  曰く「昼食べたメニューと同じは、客に対して失礼だ」よくあるビーフか魚か、で同じチョイスをしたのだろう。こんなものこそ安いツアーだから仕方ない。  あんなむちゃな日程にも命危ない目にあっても何ひとつ文句言わないのに、機内食ごときに怒っている。トルコでの激不味メニューには、舌鼓うってた男が、美味しさの期待なんてこれっぽっちもすること事態が恥ずかしい、エコノミーの機内食に文句つけてるのだ。 
 そうなのだ、言葉も何も解らないトルコでは、ひたすら従順だが、もう成田が見えてきて、言葉も解る日本人CAには、地が出てこんなに傲慢になるのだ。ああ、何て嫌な人間だ。
 この親父にはロシア人のCAに対処させたほうがいいですよ、そしたら何も言えませんからって、日本人CAに教えてあげようか、と娘。  他の、ツアーの従順な人たちもひょっとしたら、地元のマーケットなんかには、くだらないクレームつける普段は文句いいの人たちなのかもしれない。  なのに海外では、ひたすら黙ってガイドについて行くのだ。その姿を今思いだすと、ある歌が重なった。市場に曳かれて行く子牛を歌った、あの歌。「ドナドナドナドーナ、儚い命」

 日本に戻って、トルコ大好き私と娘は、東京のトルコ料理のお店を探しまくった。そしてイチ押しのお店を見つけた。  外苑前の「ハレム」、味はもちろんのこと、カジュアル接待にも使える、グッドなサービスも○。曜日によってはベリーダンスも楽しめるし。皆さんも一度、世界三大料理と言われるトルコ料理を味わってみて下さい。ちなみに、あとの二大料理は、フランス料理と中国料理。 

 追伸
 エフェソスで、革製品のお店に案内された。 
 ヨーロッパの革製品のブランド物は全てトルコで縫製しているということで、けっこうお買い得だ。そこでデザイン気に入った2000ドルの革ジャンを買った。さっそくコンヤの街で着て、ホテルに戻って気がついた。1個ぼたんが取れて、ない。帰国日にYとナザンにそのことを話し、革のお店でもらった証明書も日本のまあくの住所もナザンに確認してもらい、すぐにぼたんを日本に送ると、Yとナザンは約束した。2月21日にのことだ。 
 今3月も終わり、やっとこさ3日前、ぼたんが送られてきたが、全く全然違うぼたん。それも見事に真っ二つに割れている。その旨旅行会社に話すと、即調べて電話する、とのことだったが、未だに電話はかかってこない。  まあ、もう革ジャン着る季節も過ぎちゃったけどね。

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