まあくのカンゲキノート スペシャル版(雑誌「舞Land」より)

「命知らずのツアー離れて、カンゲキのトルコを識る!」

 雪はますます激しさを増し、とうとうバスは山道のガススタンドで止まった。この先が封鎖状況であるらしい。 
 1時間ほど前、先行くツアーから情報をもらえるから私たちはラッキー、と添乗員のY(40代女性)は満面の笑顔で言っていたが、その時すでにこの“封鎖情報”はもらっていたわけで、それでも同じ道に突っ込んでいくのだから、何が“ラッキー”なのか、意味わからない。
 そして「天気のことだから仕方ない」と彼女は繰り返す。が、しかし、100%雪になる、の予想がされているのに、万が一の晴天を期待して、ツアーの行程だからと、ただ出発を早めるだけ(朝5時モーニングコール!)、ただ天気回復を待つだけ(バスん中で何時間も!)、何のフォローも全くなしに険しい山道入るのって、これって「仕方ない」レベルではないだろう。
 すでに成田からロシア経由してイスタンブールに到着してから3日間。トロイ、ベルガマ、エフェソス、パムッカレ、4つの遺跡を巡った行程で、ツアーの非人道的スケジュールを思い知っていた我々(まあくと次女)だったが、ツアーに入った自分たちが馬鹿だったと早々に諦めて、それまでは黙ってガイドに従っていたのだった。

 これまでいつも個人旅行だったが、トルコは危険情報発出中。テロに巻き込まれないよう云々の情報は、オリジナルのスケジュールでインドやスペインなど一人旅したまあくにとっても、オーストラリアに9ヶ月間余り暮らした次女にとっても、ちょいと怖い。くれぐれも団体での行動を、などと書かれているのを見て、ついひよってしまった。とりあえず安全な“ツアー”で行こう、と  スケジュールが取れるの解って、申し込みまでわずか2日、出発はその2週間後、取り急ぎ、トルコガイドブックと、「コンスタンチノーブルの陥落」(塩野七生著)を本屋で探して買い求めた。この、旅先を舞台にした本をその場所で読む、というほど贅沢で嬉しいものはない。歴史モノだけでなく、小説でも全然OK.。  アルゼンチンに行ったに時は、ピアソラ楽曲がタイトルになっていた「オブリビオン」を読んだ。ブエノスアイレスのボカ地区に立って、主人公が暮らした部屋を想像した。
 で、「コンスタンチノーブルの陥落」だが、イスタンブールが東ローマ帝国の都コンスタンチノーブルと呼ばれていた頃、オスマントルコとの熾烈な攻防を描いた名作。読めばイスタンブールの歴史を目の当たりに出来るはず、と友人に聞いていたのだった。 

 そして、出発日の前々日の2月12日。夜9時過ぎに添乗員のYから了承して欲しい、と、こんな電話があった。
 今年になってコンヤの街から有名遺跡であるカッパドキアへの道が雪で封鎖され、予定外にコンヤに泊まることがあった。それは天候のせいなので、ホテル代はお客様の負担であるし、翌日も雪がやまないとカッパドキアに行けないこともある、この事は(ゴマ粒文字で)約款にも書いてある。  そこで初めてまあくはトルコにも雪が降る、ということを知る。それもこれもスケジュールの都合と安全のため、仕方ないか、と来てみたが、安全どころか、ツアーのほうが、次ぎから次ぎと、とんでもない命知らずなことをやってのけてくれるのだった。  結局、コンヤまでのろのろ運転で10時間余りバス乗りっぱなし、へとへとでホテルへ着いた。ガススタンドからコンヤまでの道のりで、10台を超える車がスリップして道路端に転びまくってるのも目撃した。まさか、明日、またぞろより山深いカッパ道はさすがに行かないだろう、と思いきや、ぐだぐだの夕食の後、Yは決死の形相で言い放った  「途中、雪道でまた立ち往生するかも知れません、十何時間バスに閉じ込められるかもしれません、でもイチかバチかです!我々は、明日カッパドキアを目指します!」  馬鹿は死ぬまで治らない、という言葉が頭に浮かぶ。これは後に聞いた話だが、一昨年同じ道でツアーのバスが横転して、観光客一人亡くなっているのだ!私と娘は速攻ホテルのフロントに行き、翌日の夜9時発、イスタンブール行きの快適1等個室寝台車を取ってもらった。明日は1日ゆっくりこの興味深いコンヤの街も楽しめるのだ。  ツアーの連中は、“イチかバチか”で、カッパドキアへ向かい、その後アンカラへ行き、(間にあえば)深夜アンカラ発のイスタンブール行きの寝台列車に乗る、という行程。このガチガチに凍った雪道を、だ。最早尋常の精神ではない。  我々は、ツアーに参加した以上きつい行程も我慢するが、命かけてまでも遺跡を見る気はない。  そして、彼らと離れて、初めてトルコという国と人々の素晴らしさを識ることになる。  雪道、転びそうになるのを手をつないでCD屋やコンヤ駅まで一緒してくれ、お茶までご馳走してくれたイスマイルと、そのかわいい奥さん。彼らとは拙い英語で、トルコの宗教、とも言えるイスラム教の世界的なイメージの話しまでした。  CD屋にはその後も何件も行って、お店のお兄さんにもおススメ聞いて何枚か買った。トルコヒット曲網羅した「TURKCE POP100」、100曲おしなべて、トーンとして、演歌だ。ノリのいい曲もどこかノスタルジックに怪しい。その怪しさが実に素敵なのだ。今風で一番売れてるのがイケメンスタイリッシュ歌手TARKANN。確かに彼のリズムはクセになる。イスマイルと歩いていて聞こえた楽曲気になって入ったCD屋で買ったのは、美人歌手DenizSeki。彼女のPVはネットでも見れるって、イスマイルが教えてくれた。  そう言えばそれまで泊まったホテルのレストランやバーで演奏していた曲は、全て懐かしのラテンチックなものだった。例えば「べサメムーチョ」みたいな。いいなあ。  で、他にも親切にしてもらった人々あげると、自分のメルアドで列車のチケット予約など、ホテルマンの役割以上に気使ってくれたイブラハム。 モスクの前の坂道をそりで遊んでいた10人ほどの子供たちは、転びそうになる私に、皆で手を貸してくれた。  そのモスクの前に居た3人のおじさん(多分タクシーの運転手さんで休憩中、って感じ)は、モスクの扉を開けてくれて、中を案内してくれた。帰りは、また坂道滑りそうになる私を、坂の下までエスコートしてくれたのだった。  その後、トイレ借りに入ったコンヤインフォーメイションのスタッフ、ユジュルは、驚異の日本語でメヴラーナ博物館のガイドまでやってくれ、最高のお店を紹介してくれた。バリッとスーツ着たハンサム5人が出迎えてくれた一軒屋のレストラン、味もサービスも最高のコンヤ料理フルコース、オクラのスープは超おすすめ。その上嘘みたいに安い(二人で20トルコリラ・約2000円!)これもユジュルの手渡してくれた“宜しくメモ”のおかげか。  ちなみにユジュルは、近く「地球の歩きかた」で紹介されるとか。ぜひ見てみて下さい。Mr.ビーンのローアン・アトキン似(笑)の好青年だ。     それにしてもそれまでのツアーのご飯は、一体何だったんだろう。ツアーの人々は、あんな激不味い団体料理がトルコの料理だと思って帰国するのだ、かわいそうだがそれも自業自得。それより、そんなモノしか食べていないくせにトルコ料理のことを云々されたらトルコに対して失礼だ、との思いで腹が立つ。  そして、コンヤを後に乗ったイスタンブール行き寝台列車の快適さったらない。食堂車で隣合ったアフメッドは、コンヤの駅で時間の遅れを教えてくれた親切運転手さん、仕事終わりとかでビールをご馳走になる。  イスタンブールからフェリーに乗り換え、アジアサイドからボスフォラス海峡渡り、ヨーロッパサイドに到着間際、安岡力也風押し出し強そうな男性と、その友人風が我々の重たいデカ荷物二つを持ってくれると言う。彼らは先ほど私たちが途中間違えて下船しそうになったのを止めてくれ、親切に正解教えてくれた二人だ。タクシー乗り場まで送ってもらい、運転手に「ぼるんじゃないぞ」的おどしまで効かせてくれた。そしてイスタンブールで困ったことがあればいつでも電話してと、メモを娘に渡すと、さっさとタクシーのドアを閉め、さっそうと去って行った。彼の名はマフメッド。  バザールで、かわいいブレスレットを娘にプレゼントしてくれ、いろんな情報教えてくれたのは、お土産物屋さんのエルカン。  バザール抜けた凄い雑踏の中、不安げに雪降る歩道で手をあげてると、ジェラール・フィリップの瞳をした男性が、タクシーを止めてくれ、これまた「正確に行くように」と運転手に釘さしてくれた。彼の名は、残念ながら聞いてない。  他にも色々、小さな親切いっぱいいっぱい受けた。これが、ツアー離れていた2日間!のトルコの人々との触れ合い。ツアー同行中は一切なかった。  イスタンブールで早々悠々とチェックインしたホテルはさすがのヒルトン。ここに、あのツアーの人々30人と一緒に深夜どやどやと入るはめにならなくて、本当によかった。

 帰国日、空港へと向かうバスで、我々は3日ぶりにツアーに戻った。  前夜も快適に、ヒルトンの最上階、イスタンブールでも評判のレストランで、超美味しいトルコのシーフード料理堪能し、隣接するバーに行くと、またまた懐かしの「私の心はパパのもの」なんてわたしの大好きな歌ステージでやってる。おまけにバーテンダーに、ヒルトンオリジナルのイスタンブールで優勝したカクテルをご馳走になりと、ご機嫌気分覚めやらぬ私たちは元気いっぱいバスに乗り込んだ。  そこには、ぐったりと精も根も尽き果てたという感じのツアーの人々がいた。 
 夕べもせっかくヒルトンに泊まりながら、わざわざ何十分もかかって、観光客用のベリーダンスレストランに行き、激不味い料理食べさせられてきたのだ。後に、唯一私たちの行動を正直に「羨ましい」と言った、一人参加の中年女性から聞いた話だ。ベリーダンスのダンサーも太ったおばさんが出てきてイマイチだったし、料理は勿論悲惨なもので、おまけに席も団体用に分けられた離れた席だった、と。 
 私たちは、パムッカレのスパホテルにあった居心地良いバーで、すでに、真珠のような綺麗な踊り子さんの素晴らしいべリーダンスを観ていた。ちなみにベリーダンスはアラブの踊りでトルコの踊りではないが、カタイこと言わずに、観光客には楽しんでいただく、って感じ。動きが繊細で女性らしくてセクシー、ウエスト引き締めにも効果テキメンの踊り。日本に戻ったら習ってみようか、と思ったほどだ。 
 で、その時、ツアーのほとんどの人々は、食事が終わってぎりぎりの時間、無料で入れるというスパに、あたふたと入りにいっていた。 
 それにしても、ガイドブックには、広大なカッパドキアを見るには3日間は滞在したい、と書いてあった。ツアーの連中は、命からがらバスで何時間もかけて、カッパには1時間半!いたらしいい。まあ無事に戻れただけでもめっけもんだが。
 わたし達はラッキーにもアクシデントのおかげで、ツアーを離れられたおかげで、トルコの素晴らしさを識ることができた。娘は8人ものトルコの人たちとメールアドレスの交換をしていた。イスマイルや、アフメッドたちだ。  今度はゆっくり2週間休みとって、勿論ツアーなんかでなく、自分たちだけでトルコに来る。確かにイスタンブールの名所近辺で、親しげに日本語で話しかけてくる輩には要注意だが、そんなの世界各国、どこだっている。しっかりトルコの文化を把握して、団体でなく、個人で歩けば、トルコの人々は皆、本当に心底親切に手を貸してくれる。 

 日本に戻ってさっそく東京のトルコ料理のお店を探しまくった。そしてイチ押しのお店を見つけた。外苑前の「ハレム」、味はもちろんのこと、サービスも最高。曜日によってはベリーダンスも楽しめるし。皆さんも一度、世界三大料理と言われるトルコ料理を味わってみて下さい。ちなみに、あとの二大料理は、フランス料理と中国料理です。

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